いつもありがとうございます。
さて先日「日興は仏像本尊を認めている」という記事を書きました。
この記事内容につきましては、かつて「日蓮本仏論について」という投稿で部分的に書いたことの再掲に過ぎなかったのですが、意外に反響を頂きました。ありがとうございました!
そこで多くの方が疑問を感じたのは
「ではそもそも誰が"曼荼羅本尊正意説"を言い出したのか?」という点でしょう。
この点については宮田幸一氏でさえも、仏像本尊よりも曼荼羅本尊正意説を唱えています。
これは予想されるに、師の教えに厳格であった日興と、その門流たちが歴史的に形成してきた教義だったのではないかという推論を今の私は考えています。
例えば『富士一跡門徒存知事』では「聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず」(御書1606ページ)とあります。この『富士一跡門徒存知事』は重須の日澄の筆と言われていますから、曼荼羅本尊正意説というのは恐らく日興門流の中で歴史的に形成されてきた教義なのではないかと思います。
そもそも日蓮門流でも見解が一致しているところですが、日興という人物は厳格な人であったと言われていますから、その厳格さゆえに曼荼羅を大切にし、そこから曼荼羅本尊こそ日蓮の正意であるという説になったのではないかと。
このことは先のブログでの引用『原殿御返事』からも明らかかと思います。
つまり四菩薩の造立を伴った「久成の釈迦仏」を意味するのであれば、それは日蓮と日興の中では曼荼羅において表現しようとしたものと同義なのであり、そう考える時、『報恩抄』の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」(御書328ページ)の意味が明瞭になってくると思います。