気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

生命論からの脱却。




いつもありがとうございます。



さてネットを見ていると、創価学会大石寺の教義の欺瞞性に気づき、独自に思索をされる方が増えているようで、私としてはとても心強いです。
思想の相違はあってよいと思いますし、いろんな考え方を持つ人がたくさん出てきて構わないのだと思います。その中で普遍性がより高い考え方がきっと評価されるはずです。
私のブログがそんなことを思索する一つのきっかけになれているのならば、とても嬉しいです。ありがとうございます。



さて創価学会大石寺の信仰を否定して考える時に、なぜかなかなか脱却できない思考の枠組みがあります。それが生命論です。


「仏教は生命論ではない」


信仰の確信を戸田会長の獄中の悟脱に求め、題目をあげることが大宇宙に遍満する絶対の法と覚知して合一することだと考えているのなら、申し訳ないんですけど、それって仏教じゃありません(笑)。ただのウパニシャッド哲学です。


仏教の究極が生命論に過ぎないのだとすれば、その考え方は真言密教、そしてウパニシャッド思想となんら変わりはないわけで、五重の相対から考えれば内外相対の外道の教えです。


仏教というものは人の生きる道を説くものであって、別に神秘的なものでもありません。
神秘的なものを求めてしまうというのは功徳や罰を信じる信仰者の純粋さなのかもしれませんが、そこから脱却しない限り、いつまで経っても仏教には辿り着かないと思います。