いつもみなさん、ありがとうございます。
さて正直に言ってしまうと、無量義経を法華経の開経とし、観普賢菩薩行法経を結経とする、智顗の法華三部の発想が私にはよくわからないんですよね。
そもそも法華経における「サマンタ=バドラの鼓舞」(普賢菩薩勧発品第28)は梵文では末章ではありませんよね。本来の結びは属累品だったことはすでによく知られていることです。
だから法華三部の発想が智顗の思い込みとしか私には思えないんです(笑)。
そもそも無量義経を開経とした根拠は、法華経の序品で釈迦が「無量義処三昧」という禅定に入っているところから考えられた仮説です。史的な成立が全く異なる両経が開経と本体として結びつけられるという仮説は史的考察からも退けられるべきでしょう。
鳩摩羅什訳の法華経では、虚空会の儀式は属累品第22にいったん終わります。ですから普賢菩薩は後霊鷲山会の最後に現れたということになりますが、そもそも属累品は梵文では最後に配置されていた章節なのでして、ここから考えると二処三会という考え方も単なる漢訳版を過信した思い違いということになります。
ですから法華三部という考え方は中国天台宗以降には存在しても、インドには全く存在しない概念です。