気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

たとえばガンジーのこと。





創価学会では池田名誉会長をよく「ガンジー・キング・イケダ」と並び立てて、非暴力平和思想としての池田名誉会長を賛美したりします。



ガンジーは確かに非暴力思想をとなえ、インド独立を導いた独立の父です。
けれど、実はガンジーカースト制度の身分差別には賛成だったという事実を創価学会はどう考えるのでしょうね。



私は別にガンジーを悪く言おうとか非難しようとか言うのではありません。
要するに創価学会は自分に都合の悪いことは語ろうとしない団体なのであり、そのことはきちんと総括されるべき問題点だと考えているということなのです。



インドにはガンジーと思想的に戦ったアンベードカルという人物がいます。
アンベードカル自身はカースト制度の外の不可触賎民であり、衣食住も規制されている民であり、ヒンドゥーなのに寺にも入ることが許されませんでした。




ガンジーは確かに不可触賎民を「神の子」と呼び、支援をしたのですが、彼自身はカースト制度を「ヒンドゥー教の根本的な制度」とし、これを称賛したのです。
同じカースト同士でしか結婚できないような制度でさえ彼はそれを擁護し、礼賛したという事実があります。
つまりガンジーと言えど、自身の思想の陥穽に気づくことができなかったわけです。



アンベードカルはヒンドゥーから仏教に改宗。1949年のインド憲法の制定に携わり、制度上のカースト制度撤廃へと生涯を捧げました。



とすれば、創価学会はむしろガンジーよりアンベードカルからその思想的なものを学ぶべきなのではないでしょうか。
ガンジーを無批判に摂取して礼賛しても、では「カースト制度はどう考えるのですか?」という問いを発しても創価学会の方は耳を閉ざすだけでしょう。結局それでは本当の社会的な評価も得られないし、「なんか偉そうな人を勝手に盗用して自説の正当化に使ってるだけ」とみられても仕方ないですよね。




創価学会は自分たちに都合の悪いことには沈黙し、都合の良いところだけを使うという悪い癖が昔からありまして、一向に治る気配がありません(笑)。
日蓮を利用して自説の正当化に使ってるだけの日蓮正宗も大して変わりませんけどね。
私が信用するのは、自説の描く世界観や宗教観の持つ限界にもきちんと着目し、批判を受け入れ、過去を総括することのできる信仰者だけです。
どんな思想にも思想的な限界は存在するわけで、その限界にいつも自覚的でなければならない。そうでなければ真の信仰者でもないし、釈迦の門流でも日蓮の門流でもないと考えます。