気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

仏法は師弟なのか。



師弟とか血脈というのは、本来はチベット密教の思想です。



大乗仏教と呼ばれる北伝仏教の運動は、釈迦の思想の捉え直しという側面がありました。
そもそも仏教には正しいテキストという概念が存在していません。仏教以前の六師の時代から、またウパニシャッドの時代から、インドで教えは師匠から弟子への口伝として伝わりました。余談ですが、この師子相承の概念を色濃く伝えているのは実は密教です。密教はその成立から本来大乗仏教部というより、インド思想の影響が強いことがよく知られています。


つまり師弟とか、血脈とかの概念は、インド思想の影響を受けたチベット密教の影響が強いんですね。本来、血脈とか法水とか相承という概念は、釈迦の流れから出てきた概念ではありません。チベット密教ではまさに師子相承を重んじていまして、根本ラマに対して献身的に帰依するという思想は、ちょうど日本の密教における伝法灌頂と同じです。そして師匠から弟子へ教えが伝えられたことを密教では「瀉瓶」と称して阿闍梨号が贈られることはよく知られていると思います。



ゴータマ・シッダルタの教えはスッタニパータを読めばわかるように、難解なものではなく、人の生き方を説くようなものでした。
中村元氏も指摘しているように、釈迦は弟子たちの質問を決して否定はしませんでした。むしろ弟子たちの考え方を肯定しつつ、より高い思想へ、より意義ある生き方へ変えていくような対話こそが釈迦の試みた行でした。



正しいテキストというものを残さず、口伝や「如是我聞」といい、弟子たちの記憶の中で残された釈迦の思想は、解釈されて残ることになりますが、そもそものはじめからインドでの教えは口伝として伝わったのだということです。
そしていろんな人がいろんなことを言い始めるわけですが、それら全てを釈迦は生きていれば決して否定することはなかったはずです。それら全ての教えが仏教には含まれるはずであり、釈迦の本来の教えとは何だったのかという問いと解釈は多様に存在し得るということになります。そしてそれこそがまさに仏教の本質なんですね。


私が大乗非仏説を認めつつ、大乗仏教日蓮を仏説として認める理由はまさにそこにありまして、何が釈迦の本質なのかを問い直す姿勢を私は日蓮の遺文中に読み取ることができると考えています。そしてそのような問い直しの中にこそ仏教の本質が存在する。それをやめた時から教えは権威化し、悪しき形式に堕するのだと思います。


師弟という概念は本来、インド思想の影響を受けたチベット密教にその源流があります。そのことを検証もせず、考えもせずに「仏法とは師弟なんだ!(机バンバン!・笑)」と叫ぶのはあまりに安直な結論です。これは法水瀉瓶という概念も同じですから、日蓮正宗の思想もまた安易な教義でしかないでしょう。
そのような概念を検証もせず、門徒に教えようともせず「秘すべし秘すべし」とわけのわからない秘密主義をとるのは、それはまさに密教の教えと変わりません。
天台学が台密化していった経過と大して変わらない変容を創価学会日蓮正宗もしているのではないかということです。
思想というものは、思考の前提になるものであって、そこに無自覚・無反省のまま思索を続けるならば、結局それらは間違った教えを拡大させたまま後世に伝わってしまいます。
そして法華経の根本は創価学会では「生命」と説く。これはまさに密教であり、密教に影響を与えたウパニシャッド等のインドの思想に逆戻りしてしまうのです。そのことに不勉強のあまり無自覚になってしまっていることに、早く創価学会日蓮正宗も気づいた方がよい。そんなことも知らずに世界宗教なんて言っているのは片腹痛いということになりますって。


常に捉え直しを図ることこそが、大乗仏教の本質であり、それをやめた宗教は悪しき形骸化に堕していきます。
考えることをやめた宗教は悪しき教えであり、釈迦の教えとは違います。同時に日蓮の教えとも違うはずです。


つまり日蓮の思想は、台密として真言化された天台を、再び智顗や湛然の視点から見直そうとする、法華経原理主義的な立場のものだったと考えています。
日蓮は自身の弘教の理想を最澄に見ていましたので、自身の思想を法華経原理主義に戻した天台学の本来の姿として考察したのでしょう。後年の曼荼羅日蓮の思想の図示であって、法華経の題目により、一切の教えを体系化する意図があったのだと思います。



一念三千の義は法華経の方便品を依拠としなければ見出せないはずで、この一念三千理解を日蓮は湛然の影響から考えているのですが、同時に密教的な理解をしているという仮説を立てています。なぜなら日蓮には即身成仏思想があり、法華経の中に文字に拠らない一念三千説が存在するという考えをとるからです。
もちろんこれらはまだ仮説の域を越えるものでもなく、私が考えているだけの試論ともつかないものです。



日蓮の考えた本尊は「観心の本尊」であって、一念三千・一心三観を観る、その修業の体としての本尊でした。『唱法華題目抄』にあるように「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず」としましたが、「志あらんものは必ずこれを修学すべし」としているのは、やはりこの本尊が「観心」のための「本尊」であるからでしょう。
その体を見れば、法華経の題目によって再定義される自身の異名とも言えるでしょう。自身をありのままに観て「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらく」心を持ち、全てをありのままに受け入れて生きることこそが、日蓮の心であったのだと考えます。



題目を唱えることは観心の修業です。
人がどう生きるべきかという問いこそが本来の釈迦の出世の本懐であり、生きることを忘れて戯論に堕することを戒めたのが釈迦の教えだったはずです。
そしてその理論的支柱こそ、一念三千説による法華経の題目の密教化、そしてそれを根本にした法華経原理主義、そこから天台学の再解釈を試みた者こそ日蓮でしょう。