即身成仏について。
創価学会の方は大きな誤解をしているようなんですが…………
「即身成仏」という語は法華経に説かれたものではありません。
創価学会の方、わかりますか?
創価学会の方はそんな基本的な矛盾点さえ理解しようとしないんですね。
今回の任用試験でも「即身成仏」は試験範囲に出て来ました。
「大白蓮華」から引用しましょう。
「成仏とは、人間に具わる本来の仏の境地(本有の仏界)を現すことであって、人間からかけ離れた特別な存在になることではありません。凡夫の身に仏という最高の人間性を開き顕すことが大聖人の成仏観です。
このような成仏を『即身成仏』といいます。即身成仏とは、衆生が、死んで生まれ変わって現実の凡夫の身を改めることなく、仏の境涯を得ることを言います。」
即身成仏が法華経で説かれていると安易にいうのはハッキリ言ってしまうと嘘です。
文字を越えているわけですから。
私が日蓮をあえて評価する理由は実はそこであって、一念三千という概念理解がたとえ妙楽大師湛然由来の理解であったとしても、あくまで根本には法華経の題目を持ってきた。つまり言葉の本来の存在論的意味合いに着目し、あくまで依るべき言葉にこだわっているという点にあります。
そもそも阿仏房を宝塔とする考え方も密教であります。
五大を宝塔とする考え方は天台智顗や最澄の考え方ではありません。
もちろんこれは『阿仏房御書』を真蹟と判断する立場に立たないと言えない議論になりますが(『阿仏房御書』は真蹟不存)、その前提に立つなら阿仏房の一身を地水火風空の五字に配する立場は密教の思想です。詳しく言えば五輪を五体に配するのは覚鑁(かくばん)の『五輪九字明秘密義釈』の思想です。日蓮はこの覚鑁の著作を実際に書写しており、この写本を富木常忍に送っています。この真筆は現在も中山法華経寺に存在します。
同時に任用試験で「即身成仏」という概念を語ることができなくなるでしょう。なにせ謗法である真言の教えなのですから。
これは法華経に説かれたものではありません。
そういう基本的なことを創価学会の皆さんも学会本部中央も全く考えていないんです。
繰り返しますが、「即身成仏」概念が空海の造語であることはすでに一般的な常識です。
それを否定してもただ世間から笑われるだけです。
私の考えなんて創価学会員さんに教える気はありません。
だって創価学会の皆さんはそんなことを必要としてないですものね。
必要ない人に必要以上のことなんて私は語りませんって。
追記:
法華経提婆達多品における竜女の成仏は「変成男子」と書かれているように、竜女が男性に変貌を遂げて成仏することが説かれています。つまり竜女はそのままの姿で成仏したわけではないのです。サンスクリット語原本になると表現はもっと露骨で、竜女に実際に男性器が生えて成仏するとされています。
これは果たして「即身成仏」と言えるのでしょうか。