気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

戦争を肯定していた牧口常三郎。



いつもみなさん、ありがとうございます。


さて少しずつ、またブログ記事、書き出そうかなぁと思います。明日にまた更新とは限りませんが、また非定期にポツポツと書いていくかもしれません。



Twitterで述べましたが、牧口常三郎について書いてみようと思います。



創価教育学会第4回総会報告で、紹介された牧口常三郎の論文「大善生活法実験証明の指導要領」に次のようにあります。



「『皮を切らして肉を切り肉を切らして骨を切る』といふ剣道の真髄を、実戦に現はして国民を安堵せしめられるのが、今回の日支事変及び大東亜戦争に於て百千百勝の所以である。それは銃後に於けるすべての生活の理想の要諦でもある。」
(『牧口常三郎全集』第10巻より、129ページ)

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画像も載せましたが、まさに読んで字の如くです。ここから反戦思想を読み取ることは全く不可能かと思います。
15年戦争を「日支事変」「大東亜戦争」と呼んでいますし、また「百戦百勝」「銃後に於ける生活の理想の要諦」などという表現を果たして反戦主義者がするものでしょうか。



この論文では当時の東條英機首相の言葉さえ引用しています。次の部分を見てみましょう。

「『私は特に協同一致の精神を強調致し度いのである。軍隊でも工場でも、その他如何なる所でも、一人一人が勝手な方向に進んでをつては偉大なる力を発揮することは出来ない。定められた方向に向つて各人が力をあはせて全力を発揮してこそ、驚くべき大事業も容易に完成出来る。諸君はこの点に遺憾なきやう御留意の程を切望して止まない。』
とは、去る七月一日東条首相が厚生省東部国民勤労訓練所を訪れて転業戦士への激励の辞である。」
(同131ページ)

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後に戦犯になる東條英機の言葉を、果たして反戦平和主義者が引用して参考として、創価教育学会の総会で指導をするものでしょうか。ここでは東條英機が軍需工場で働いていた「転業戦士」を激励したことまでが肯定的に述べられています。



当時の文献や史料から素直に読み解けば、牧口常三郎戸田城聖らが15年戦争そのものに反対した反戦平和主義だったという考えはどこからも読み取ることができません。
創価学会日蓮正宗も教団によって都合よく作られた虚構を見せることがあるので、よく史料から検証した方がよいように思います。書かれてあるものを否定することはできないのですから。



「戦争に勝ちたかった戸田城聖牧口常三郎



























ブログ一時休載のお知らせ。



いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、少しの間、ブログの連載をお休みしようと思います。
自身も書くのが好きで、いろいろ書いてきましたが、やはり多忙のため資料を読んだり整理するのも追いつかず、忸怩たる思いを抱いていたのも事実です。
またずっと走り続けているので、少し休んでもいいかなぁとは思っています。また気が向いたら思い出したように書きますし、記事は基本残しておきますので、自由に読んで引用ください。メールもTwitterアカウントも生きておりますので、何かありましたら連絡頂いても構いません。



それではどうぞよろしくお願いします。
また書くので待っててくださいませ。





人間的な繋がりを失いかけている組織。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、創価学会は今もまだ布教活動を続けているのかと思います。
創価学会に勧誘されて、晴れて会館等で御本尊授与を受けた方の多くから、最近よく聞く不満は「結局入ったら入ったで、選挙か会合でしか電話してこない」というものです。
実はそれ、私が青年部の頃から(というか最も前からかもしれませんが)ずっと言われていることのように思います。



私が男子部の部長の頃、本部長は派遣で3人目の派遣で来ました。とは言えヤング男子部時代に他の本部でよく知っていたので「本部長」「部長」という肩書きは吹っ飛ばして、くだらない冗談なんかを言ってよく遊びに行ったものです。



青年部幹部会の結集の戦いの後、部のメンバーと皆で食事に行く約束をしました。
入場券の確認や四者への報告と確認、最終的な参加人数の確定、報告の後、翌日の夜は皆でご飯食べて話そうと思っていました。部員さんからも「あれっすよね! 明日19:00からですよね?」「そうそう!遅れそうなら連絡して!」そんな声を掛け合いました。



疲れて家に帰ろうかなと言う時に、本部長から集合の連絡がありました。行ってみると急遽明日男子部幹部の大きな会合が入るとのこと。
私は部のメンバーと皆で食事に行く約束をしていました。すでに前もってそのことを本部長に連絡もしていました。彼は察して「ああ、そうだよね、わかった。こっちからさ、指導したということにしておくからさ、部で楽しくやんなよ」そういう柔軟な発想ができる本部長でした。
ありがたかったです。正直そこでケンカになっても私は会合など振り切って部のメンバーと遊びにいくつもりでした。
結局、皆でワイワイと翌日は打ち上げをして遊んで暮らしました。今振り返ってもよい思い出です。




その本部長は、私の母をとても尊敬していました。
母と私と、その本部長さんに共通していた感覚というのは、「創価学会の知り合い、繋がり、会合における関係だけでは本当の味方は得られないのだ」ということでした。
だからこそ、会合に誘う以上に、友人たちと友人として遊ぶ必要があると思っていました。
友人というのは、一緒に遊ぶものなのではないんですかね。
だから私たちは、皆で映画も見に行ったし、ソフトボール大会もやったし、ファミレスでワイワイと食事会もしました。母など会合と関係なく、春になれば勝手にみんな連れて花見に行くし、野球観戦にも行くし、ラケット持ってテニスやりに行ったものです。先日、私が家のアルバム写真を整理していたら、生前の母が花見でバカ騒ぎしている写真が出てきて、家で一人で失笑してしまいました。



そういう風に遊んでいる人間ほど、人生は輝いて見えるものです。
私たちはどこかの宗教法人の会合のために生きているわけではないですし、自分らしく楽しく生きているからこそ、誘うきっかけができるものなんじゃないかなぁと言うことです。
「今日、お好み焼きパーティーやるから来ない?」とか「みんなでBBQやるからおいでよ」とか言われたら、やっぱり嬉しいんじゃないかなぁと思うんです。
逆に連絡が入ると決まって「選挙の報告があって」とか「座談会の連絡で」とか、そんな事務的なことばかりだったら、「なんでこの人は私のことを入会させたんだろう? 私は友人ではなかったのか?」と疑惑を抱くことでしょう。



とある他本部の男子部の幹部(彼とも仲良しでした)は、家に行きたいと連絡が入り、「御書を教わりたい」と私に質問してきたものです。
当時、広宣部だったため、男子部の一部幹部には「御書を教わるならこの人だ」という風に思われていたみたいです。
そんな教えられるような人間でもないのですが、まずは何の御抄を読みたいのかと確認し、その意図を聞いて、内容を伝える。その後は質問会でした。彼はちゃんと教義的な疑念に答えてくれる私の存在がありがたかったのかもしれませんね。
今、彼は公明党の地方議員をやっています。
もう何年も連絡はとっていません。



人間性の自然な発露から、友情は自然に生まれるものだと思います。
会合連絡やら選挙報告やら不自然なシステムで関係を構築しようとすると、人間性が見失われます。
この人は焼肉が好きだとか、忙しいので家で飲むのが好きだとか、バイクが趣味だとか、PCで作曲をするミュージシャンだとか、そう言った情報が行間に詰まって溢れていて、初めて真の「統監」なんじゃないかなと思うんですね。
















世代毎でバラバラの教義前提。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今まで正しいと信じ込んできたものが、創価学会大石寺では次々と変わっています。
教学試験が良い例で、かつては「宗教の五綱」や「六巻抄」など、かつては真剣に学ばせていたものが、どんどん廃止になっています。




それを言えば実は、大石寺も同じようなところがありまして、狸祭り事件によって小笠原慈聞氏の神本仏迹説が戸田城聖により批判され、徐々に大石寺自体が創価学会の侵食を受けて行くのです。
実際、このブログでもいくつか紹介しましたが、細井日達氏は創価学会の『大白蓮華』を読もうとか、『人間革命』を読もうとか、そういう指導をしていました。いわゆる宗創和合時代のことです。




要は創価学会大石寺もかつて言ってたことと違うことを後出しで、どんどん変えていくわけです。
例えば創価班大学校だと旧『人間革命』全12巻を読めとか言ってたのに、しばらくしたら「今は『新人間革命』を学ぶ時代なんだ!」とかですね。
教義もかつては他宗派批判をして、大石寺戒壇本尊を信じていたものが、偽物と気づいたせいもあるでしょうけど、それらは受持の対象とはしないとかね。



例えば私の所属していた広宣部・言論企画部もそうでしたけど、ある時期からもう一切学ばせなくなるんです。



その結果、組織に何が起こっているかというと、世代毎で全く話が噛み合わない、教義の姿勢です。
ある地区幹部は幹部指導で、「これは人間革命の第2巻に出てくるんだけどね」と指導しても、周りは読んだことさえないと。
要するに世代毎で、バラバラの教義、バラバラの知識、バラバラの感覚、バラバラの断片的な教学なんです。



で、何で人がそういう宗教に入るのかというなら、居場所を求めるからです。
自身に劣等感を持つ人なんて創価学会信徒なら少なからずおられることでしょうし。
で、その世代毎に教わった断片的な教学を使って、新たな戦いを繰り広げようってやってるのが現在の創価学会なんだと思いますね。



世代毎に前提とする教学や知識、裏付けが異なるので、あと10年もしたら、本当に日蓮でもなんでもない組織になるように思えます。まあすでに創価学会大石寺日蓮の系統を正統に継承しているとは到底思えないんですけどね。












福運の用例も出典もわからない。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて以前にブログで書いたことですが、「福運」という言葉は、日蓮が遺文中で書かれたことが一度もない用例です。



「福運について」



現場ではよく使われる表現でして、「最近、福運のある顔をしてますね!」とか「戦って福運を積みましょう!」とか、創価学会の指導でもよく使われたものです。



ところがどっこい、肝心の日蓮が使っていないというわけです。
驚いたものです。
恐らくは創価学会の戦後の布教の現場で次第に会の教学として自然に使われるようになっていったのかと思いますが、御書に基づいた語ではなかったんですね。



で、不審に思いまして、『日蓮大聖人御書辞典』(聖教新聞社、昭和51年)から、「福運」の項目を調べてみました。
そしたら以下の通りなんですね。

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他の項目を見ればわかるように、『御書辞典』ではその語が「御書の何ページか」「何の経典の何ページか」「何の仏教書か」という凡例に基づいてきちんと由来が記載されます。
それなのにこの「福運」だけページ数も出典も全く示されていないのです。



つまりこれは日蓮の御書には「福運」という言葉がやはり用いられていないということ、そしてその由来についてもよくわかっていないということを示唆しているように思えてなりません。
















創価学会が公式に「法華経の敵」とするのは大石寺宗門である。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私は既に創価学会非活から退会を選び、また日蓮正宗等の大石寺系の一切の信仰からも離れています。今は日蓮からも離れて、親鸞の教えを少しずつ学んでいるところです。
ブログの趣旨から少し離れるので、親鸞や念仏思想のことをここで書くのは少し自粛しているところですが、またまとまったら何か書きたいとは思っています。



さて、そんな私ですが、Twitterアカウントで最近やたら原理主義的な創価学会信徒に絡まれることが多いです。以前は偏狭な大石寺法華講が多かったのですが、今回の信徒たちも負けず劣らずというか……さらに酷く、まともな議論もできず、単に罵声を浴びせて「お前は嘘つきだ」とか言うだけです。しかも彼らの殆どが客観的な史料も提示できません。



個人的にはもう創価学会は辞めているので、絡まないでほしいんですね。私もそんな人たちに絡むことはしていません。事実、退会してからは信徒の家庭訪問が全くなくなり、心穏やかな日々を送っておりました。そんな最中に、まさかのTwitterでやたら絡んで非難中傷をしてくる人がいるんですね。



創価学会は確かに「悪を責める」ということを宗教活動の一環としてやってきた教団です。その発想が私には吐気のするような醜悪なものなのですが、それはまあさておいて、果たして創価学会は何を「責めるべき悪」「責めるべき一凶」として定義しているのでしょう。私のような退会者を責めろとでもしているのでしょうか。



そこで2018年4月号の『大白蓮華』「任用試験特集号」から「悪と戦う」という項目を挙げてみましょう。



日蓮大聖人の仏法では「悪を責める」「悪と戦う」信心を強調されています。
「信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部読み書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経の敵をだにもせめざれば、得道ありがたし」(1494ページ)
どんなに大善をつくって、仏法の修行を重ねても、「法華経の敵」を責めなければ成仏は叶わないと仰せです。(中略)そして現代であれば、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を現実に展開している創価学会を破壊しようと企てた日顕が「法華経の敵」にあたります。」
(『大白蓮華』2018年4月号「任用試験特集号」111〜112ページ)

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もしもネットで創価学会のことを批判的に書いているブログ読者や退会者も「法華経の敵」とするなら、任用試験でそのことを指摘し、全国的に大々的な批判キャンペーンを展開するのが正しいでしょう。しかしながら創価学会が公式に「法華経の敵」と定めたのは阿部日顕以降の大石寺宗門であり、それ以外を別にここで述べてはいません。当該ページの画像も載せましたので、略記した部分も含めて読んでいただければと思います。どこにも「退会者が極悪」とか「ブログ批判者が法華経の敵」とは書いていません。創価学会が公式に「法華経の敵」と定めたのは阿部日顕以降の大石寺宗門だけです。



それならば、Twitterアカウントの創価学会信徒の方々は、何も私など責めずに、大石寺宗門や法華講アカウントを「法華経の敵」として責めるべきなのではありませんか? 創価学会が公式に「創価学会を批判するブログ」や「それらのTwitterアカウント」までも「法華経の敵」と定めた文言がどこかにあるのでしょうか?



したがいまして、創価学会が公式に「法華経の敵」と定める大石寺宗門を責めずに、徒に退会者のTwitterアカウントに執拗に絡んで責めることは、創価学会の基礎教学にも抵触する行為であると考えます。



















創価・大石寺系の分派と諍いの果て。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はこのブログ中で、何度となく「どこかに日蓮の正統がある」とか「宇宙に常住の法がある」とか「正統な血脈を純粋に受け継いだ教団がある」という正統派論争の考え方を否定しています。
そのような無意味な正統派論争をすることこそ否定されるべきです。実際、法華経安楽行品では「教えの論争に関わらない信徒の姿勢」が描かれていたりします。



それなのに大石寺系教団は同族嫌悪のように、互いを口汚く罵り合います。およそ仏教徒とは思えないほどです。法華経不軽菩薩品の精神とはかけ離れた世界です。
日顕宗は創価学会を切ったから血脈が切れた大謗法」とか「創価学会のニセ本尊を拝むから仏罰が出る」とか「国立戒壇を否定したから総罰が出る」なとと罵り合っている姿は傍目から見て、態度の悪い連中が悪口を応酬しているだけにしか見えません。彼らは自分たちが何をしているのか、わかっているのでしょうか。
私からすれば、どれも正統派論争に執着した、カルト的な思考法に過ぎず、法華経安楽行品や不軽菩薩品にも反する考え方です。


これらの大石寺系教団は分裂の様相を呈していまして、今まで多くの分派が分かれては飽くなき論争を未だに繰り広げています。その醜い姿には心底辟易します。


正信会は、昭和54年の細井日達逝去をきっかけとして、阿部日顕氏の血脈の正統性に疑問符を呈した「正信覚醒運動」が元になっています。阿部日顕氏本人が後ろ盾として創価学会を利用し、創価学会が阿部日顕氏の相承を認めることを前提として宗内僧侶の正信会系を擯斥処分にしました。当時は創価学会寄りだった阿部日顕氏の考え方への批判もあったのだと思います。
今や正信会は「宗教法人正信会」「日蓮正宗正信会」「富士大石寺正信会」と大きく三つに分裂してしまい、また同派内でも意見が異なるなど、もはや同じ宗教法人とは思えません。日蓮や日興真蹟翻刻や研究に特化した「興風談所」などはやや異色の存在でしょう。
顕正会はもともと「妙信講」という講組織でしたが、正本堂建立以降に「国立戒壇説」を強硬に訴え、顕正会として先鋭化していくことになります。正信会の一部が今、この顕正会に接近しているところもあるようです。




創価学会の海外SGI組織は、2014年の会憲制定の頃から、徐々に大場SGI理事長に意見をする国が相次ぐようになります。その中で最も大きかったのはセルビアSGIでしょう。御本尊下付停止措置になってしまい、片野勝・片野典子氏らが中心となって、保田妙本寺に接近する動きまで見せていました。
実はセルビアだけでなく、他にもヨーロッパ諸国のSGIでは内紛が起きていまして、日蓮正宗がこの頃、切り崩しに動いていたこともありました。中には信濃町の国際部通訳に好条件を提示して日蓮正宗に引き込もうとしたほどです。他のヨーロッパ諸国だと◯◯◯◯◯アとか、◯◯◯とか、一時期本当に大変だったという話を聞いています。今はどうなのか知りません。



セルビアSGI保田妙本寺に接近する際に橋渡し的な役割を果たしたのが、誰なのかわかりませんが、恐らくは波田地克利らを中心とするグループであったかと思います。波田地克利氏は元広宣部の資料作成の中心者であり、対宗門論争の急先鋒でした。彼は池田大作氏を現代の転輪聖王と位置づけ、その後、五重相対を拡大解釈した「八重相対」という謎の教義を構築しました。彼の教義は正木正明元理事長に引き継がれていました(私は活動家時代、正木正明氏の指導で「池創相対」等の言葉を聞いたことがあります)。また彼のところに集まったのが、金原明彦氏や林信男氏などで、自活グループを結成しましたが、その後、波田地克利氏と金原氏らは分派して分かれてしまうことになります。



創価学会本部職員を懲戒解雇された元職員三人組(野口裕介、滝川清志、小平秀一)が本を出版したことがきっかけとなり、少し前に公明党支持の姿勢を批判する創価学会内部のグループもありました。れいわ新選組を支持するポピュリズム的な政治姿勢を堅持する会員信徒が多いですね。彼らの多くは池田大作絶対の原理主義集団でしかなく、かつての池田大作氏を絶対正義として強硬な主張をしています。



日蓮正宗法華講は、かつての旧伝統講と大きく異なり、創価学会を切り崩して折伏布教ノルマを達成しようとするような、創価学会寄りの信仰姿勢を持っています。本来、伝統講の人たちは神棚も祀りますし、神社のお札も受け、本尊も日蓮御影とともに曼荼羅を奉る一幅一体式の奉安方法です。それが神札を祀らないようになり、謗法厳戒と称して布教数ノルマを煽るやり方は、そもそも創価学会が始めたものなのです。その意味でかつての伝統講の人たちから見れば現在の法華講は「新参講」でしかありません。
そんな法華講組織ですが、所属する寺院によっていろいろ系統が変わっています。日蓮正宗の信徒はそんなまとまりのない多様な集団の連合体と考えると実態に合っているかもしれませんね。
かつての理境坊所属の妙観講のように、強硬に創価学会組織切り崩しをやる人たちもいますが、最近では趣味のサークルのような形で近づいて勧誘してくるスタイルも増えています。やっていることが親鸞会などとあまり変わらなくなってきているんですね。



どの分派たちもそうですが、自分たちが正しいと信じて生きてきてしまったので、今さら自分たちのやってきた人生が「ウソ」だったとは言えなくなってしまっているんですね。
そして「自分たちこそ正統な教団だ」と信じて、その担保を本尊なり池田大作なり本山なり血脈なりに置き換えて自身を正当化しているのです。



このような正統争いによる分派の果てにたくさんのグループが現れては消えていきました。池田大作氏が会長になった時には、会長就任に反対する「顕徳会」という分派があったことなど、もう殆どの方は覚えておられないでしょう。また福島源次郎氏が創価学会を除名された際に「蘇生講」という分派を作ったりもしました。
とにかく私たち創価大石寺系の歴史というものは、そのようなたくさんの分派に分裂して、醜い正統派論争を繰り広げてきただけだったのです。



「原田会長が悪い」とか「阿部日顕こそが極悪だ」とか「今こそ池田先生にかえれ」とか「池田大作こそ極悪だ」とか、そんなことをあちこちで主張しますが、結局やっていることは「私たちこそ正統なんだ」という子どもじみた自己主張に過ぎないのです。
そのような正統派争いをして彷徨ったところで、どこに行き着くでしょう。真実がどこにもない迷路に入り込んでしまうだけです。
日蓮にも真実はないし、法華経にも真実はありません。釈迦の教えにも真実はないですし、大宇宙のどこかに真実が存在するという考えそのものこそが「誤り」なのです。
常住の法への執着を捨てることしかありません。そんなものに執着するからこそ迷いの人生になってしまいます。



どうか、このブログを読まれている一人でも多くの方が正統性への執着から離れて「正しいものは存在しない」「正しいものは自分で選び取ることでしかない」ということに気がついてほしいと願っています。