気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺の血脈相承は丑寅の時刻に行われるのか。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回の記事は、大石寺の血脈相承をすべき時刻についてです。
というのは、堀日亨氏の『富士宗学要集』第8巻資料類聚に、大石寺39世日純の血脈相承賀詞というものを見つけたからです。
以下に全文を書き出してみましょう。



「謹み敬つて之を賀し奉る、   日純。
問うて曰く当山に相伝する処に於て唯受(授)一人の大秘法は開祖已来惣じて丑寅の夜半にのみ之を相承せしむる其の謂れ如何、答ふ云云、重ねて請ふ、示して曰く。
よろず(づ)よ(代)の、やみ(闇)をてらせ(照)る、み(御)のり(法)とて、そもうし(丑)とら(寅)に、つたえ(伝)こそすれ。
時に寛政第八丙辰十月二日の暁天丑寅の中間に成弁す。    三十九世日純在り判。
当山四十二世現職日厳上人に之を呈す。」
(日純『血脈相承賀詞』富士宗学要集8-68ページ)

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日亨氏によれば、この日純の賀詞の正本は大石寺に現存するようです。
内容は、大石寺42世日厳の法主登座に対してお祝いの言葉を述べたもので、この中で大石寺の血脈相承が開祖すなわち日蓮日興以来、常に「丑寅」の時刻に行われてきた由来への質問に対して、日純が「闇を照らせるみのり」として丑寅の時に相承を行う旨を詠歌で答える形となっています。



これを読んで、考え込んでしまいました。
大石寺の血脈相承って、丑寅の時間に決まってやるのが開祖以来の伝統でしたっけ?
そうすると細井日達氏も阿部日顕氏も、その次の早瀬日如氏もみんな「丑寅の時刻」すなわち午前2時半から3時あたりにやるということなのでしょうか。
そもそも丑寅の時刻には「丑寅勤行」があります。大石寺の化儀では丑寅勤行は毎日欠かさず行われるものの筈です。となれば、大石寺の血脈相承が行われる際、法主丑寅勤行を休んで代理でも立てるということなのでしょうか。



考えてみると大石寺というのは、その時その時で適当に教義を作ってきて、それらをあたかも開祖以来の伝統のように語ってきたのかと思います。それら化儀が正確に伝わっていないのだとすれば、大石寺の血脈相承とは一体どんな代物なのかと内外から問われかねないのではないでしょうか。









創価学会員の結婚問題。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会少子高齢化の波は、日本社会一般よりもはるかに速い速度で進行しています。
原因はさまざまな観点から語れるかと思いますが、今回は「創価学会員の結婚問題」を考えてみたいと思います。



創価学会員で幸せな結婚をして幸せな家庭を築いている人もいるのかとは思いますが、私が見てきた創価学会員には結婚できず、独身の方が少なからず存在しました。
あまりに結婚できない方が増えているからでしょう。最近は「創価学会員同士の婚活サイト」なるものまで登場しています。私が青年部の頃には考えられなかったことです。



創価学会の信徒が、信仰を持たない一般の方と結婚することはかなりハードルが高いといえます。家族の反発は必至でしょう。結婚した後も相手を入信させようとすることは間違いないわけで、結婚に二の足を踏んでしまうことになります。
かつては女子部の中には創価学会信徒でない男性とお付き合いをして結婚に至った方がかなりいましたが、その若い女子部の方たちは結婚した途端に一斉にほぼ例外なく活動から遠ざかって非活になってしまいました。




では男女ともに活動家同士で、結婚することはできないのでしょうか。
正直に申しますと、一昔前と異なり、魅力的なパートナーとなる方に今の創価学会員は不足していると思います。
ただでさえ女子部の統監数は減り続けていて、もはや絶滅危惧種扱いにさえなりかねないのに、その中で出会いがあってさらに活動家で、さらに意気投合して付き合えるチャンスというのは、宝くじで一等賞を引き当てるような確率でしょう。女子部の活動家たちも最近は高齢化して30代後半から40代など普通です。



加えて男子部員の魅力の無さもあろうかと思います。
私がかつていた支部では各地区に必ず精神疾患を抱えている部員がいたものです。精神疾患のみならず、全盲、無職、肢体不自由、生活保護、引きこもり、ゴミ屋敷状態、不規則勤務、元暴走族、親の介護、寝たきり、アイドルオタク、LGBT等、さまざまな方がいたものです。
地域の最下層の人たちを拾い上げてきた、セーフティーネットとしての創価学会の役割を肯定的に評価してもよいのかもしれませんが、ここまでさまざまな方がいると、さすがに一般の若い女性の方なら引いてしまうのではないでしょうか。私も部幹部時代、家庭訪問でタバコの匂いの凄いゴミ屋敷の男子部員に会いに行くのは精神的に辛かったです。



若くて溌剌として逞しく人生を生きている、そんな若い男女青年部は、ここ最近、本当に見なくなってしまいました。
みんな活動をしているうちに嫌気がさし、徒労感から休み始め、仕事で失敗し、家で一人で必死になって唱題をしているうちに精神疾患にかかったりします。
そうやって活動から離れていったり、精神を病んでしまった部員さんを私は多く知っているので、彼らのことを思い出すと胸が痛みます。



そんな人たちが本物探しに囚われて、大石寺信仰に走ったり、顕正会に入ったりします。日蓮正宗の信徒、法華講妙観講たちは一般の方に布教が進まないので、そうやってハイエナのように信徒を得ていくのです。



真面目で優しい人ほど、創価学会員は心を病んだり、活動から離れていきます。残ったものたちの多くは高齢化し、個性の強い、心身にどこか障害があったりする、自立して生きられない、非正規雇用や定職のない人たちばかりです。
そんな人たちがどうして結婚ということを考えられるのでしょうか。



さらに言えば、男女の出会いの場が激減したことも大きいかと思います。
かつて創価学会には文化祭がありましたが、今はもう行われていません。
地方の市議選等では、創価学会は男女青年部を中心に「遊説隊」を結成していました。遊説隊に入ったことを契機に活動に挺身する部員も多くいました。また遊説隊で出会った男女が結婚することも多くありました。ところが遊説隊も今では男女青年部で出すのが難しくなってしまいました。高齢の婦人部員がウグイス嬢になり、ドライバーも壮年部なので、男女の出会いの場としての遊説隊はなくなりました。



また女子部の幹部には、男子部に強い嫌悪感を持つ人が少なからずいました。
かつては少年部と少女部は男女青年部で面倒を見ていたのですが、この活動がきっかけで付き合うようになったカップルもいました。しかしながらそのことで、女子部の幹部から男子部幹部に猛抗議が入り、執行会議でも糾弾されるようになってしまいました。
私は男子部でしたので、そのような女子部の幹部が好きではありませんでした。高飛車に言われたのではこちらも相手に好意を抱くはずもないです。やがて少年部少女部等の未来部担当も青年部から出せなくなり、今では本部で数人しかいない未来部を高齢で70歳近い地区女性部長が連絡に回る始末です。



まあ、そんなわけで、現在の創価学会には男女が結婚するような雰囲気が減ってしまっているのかと思います。
現在の数少ない男女青年部たちは出会うことさえなく、出会っても意気投合することもなく、結果として創価学会少子化がますます進行することは避けられないのでしょう。















信濃町本部職員の給与。





いつもみなさん、ありがとうございます。




ところで、信濃町創価学会本部には職員がどれくらいいて、どのくらいの待遇なのでしょう。ジャーナリスト高橋篤史氏の資料から考えてみたいと思います。



創価学会の本部職員が加入する創聖健康保険組合の2016年度事業報告によりますと、被保険者は3216人(男性2312人、女性904人)だそうです。この数字がほぼ信濃町の本部職員の数と考えられます。



報告書によれば、平均標準報酬月額は男性で46万9020円となっています。高橋篤史氏の元本部職員への聞き取りによれば「40代後半で大抵、年収1000万円を超える」そうです。
賞与は不明ながらかなり待遇は良さそうです。



退職後の保障も手厚く、基礎年金と厚生年金に上乗せ支給するため、創聖企業年金がしっかり用意されています。上述の2016年度報告書では運用資産額は540億円。老齢給付の実績は平均で1人あたり年139万7100円とのこと。企業年金連合会の全国調査で平均額が年83万円とされているようなので、かなり待遇は良いと考えられるでしょう。



ところで、彼らの恵まれた給与や年金は、いったいどこから出てきたものなのでしょうか。
それは創価学会にお金を払ってきた、末端の創価学会員からです。
財務にお金を出したり、信濃町の外郭企業の店で買い物をしたり、聖教新聞をとったりと……それらのお金の行き着く先の一つが、信濃町創価学会本部職員の好待遇の給与と年金です。




参考文献
高橋篤史「創価学会 創価マネーの巨大経済圏」、週刊『東洋経済』2018年9月1日号所収。







根拠がない。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さてこのブログでは創価学会大石寺系宗派・教団の教学的根拠が既に破綻していることを幾度となく指摘しています。
教学が破綻しているというのはどういうことか。それは、



・信仰活動をする根拠がない
・題目を唱える根拠がない
・勤行や唱題の説明に根拠がない
・布教活動をする根拠がない



ということになります。



したがいまして、創価学会は対外的に「題目をなぜ唱えるのか教学的説明に根拠がない」宗教団体であり、「なぜ宗教団体が公明党を支援するのかという教学的説明に根拠がない」宗教団体だということになります。



教学がないということは、根拠がないということです。
教学を軽視するということは、文献的な検証や教理的な根拠は「どうでもよい」ということです。
史料を読まない、遺文を検討しない、偽書の利用や遺文の恣意的な解釈も辞さないという態度は、教学的前提に根拠がないということです。



つまり大石寺系教団の創価学会大石寺がやっていることは、根拠もないままに他者に自宗の正統性を伝える行為であり、根拠もないままに選挙活動を宗教活動としてやっているということであり、根拠もないままに他宗派を非難中傷し、そのことに対して反省もしない宗教団体であることを自ら認めていることになろうかと思います。


















替玉投票についての父の証言。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会の過去の「替玉投票事件」ということを、ネットで検索するとたくさん出てきます。
私が青年部の活動家だった頃、個人的にはこれが組織ぐるみで行われたという話が信じられませんでした。そもそも他人の投票券を使って替玉投票すれば、すぐに発覚してしまう筈だと思ったからです。ネット上のデマなどたくさんあるので、活動家時代の私は当初から信じていませんでした。
で、実はこのことを今は亡き父に尋ねたことがあります。父は「あまり外にもらしてはいけないよ」と言いながら、父の知る範囲のことを教えてくれました。当時、私の父は第47部隊所属で石田幸四郎(元公明党委員長)部隊長の盟友でしたから、その辺の事情をよく知っていました。
今回、私の記憶の範囲内で、父の言葉を書いて残してみたいと思います。以下が父の発言です。



「替玉投票っていうかさ……当時、都内の学会員さんって団地に住んでいる人が多かったのね、都営住宅とかね。
でね、投票券ってのは郵送で送られてくるんだけど、それを集合ポストから抜き取って勝手に投票しちゃうヤツが出てきたのよ。今なら考えられないんだけど、当時はほら、インターネットとかパソコンとか何もない時代だろ。だから集合ポストから数枚抜いて、代わりにやってもバレなかった。選挙管理委員会もさ、『届かないのは郵送のミスかも』なんて思って、届かなかった人、実際は抜き取られた人なんだけどさ、その人に再発行して投票させてたのね。結構、当時はその辺が緩かった。だいたいさ、今なら当たり前だけど、投票日当日に選挙運動ってしちゃいけないじゃないか。でも当時はそんな考え方もハッキリしていなくて、創価学会員は投票所の小学校の正門前にデカデカと『公明党』とか候補者の名前を書いた幟を立てて、選挙運動しちゃってたのよ。
で、当時、団地の集合ポストから投票券を抜いて代わりに投票しちゃうことが、普通に行われていたわけ。お前も男子部の幹部だったらわかると思うけど、男子部って『公明が勝てば何でもOK』みたいなとこがあるだろ? その時もそういう感じで、都内で普通にやる人が出てきたのよ。
それを組織ぐるみでやっちゃったところが出てきて、それで流石にそれはさ、集合ポストの端から端まで抜き取られて、まとめて投票されたらそれはもう疑われるに決まってんじゃん。それでバレちゃったんだと思うよ。当時はおそらく竹入さん(注:竹入義勝)なんかが創価学会本体に捜査の手が及ばないように動いたかと思ったよ。」



父の発言の要旨を記憶の範囲で書いたので、細部は違っているかもしれませんが、趣旨は伝わるでしょう。
父の発言がどこまで正しいのかはわかりませんが、正しいと仮定するなら、当時都営住宅や団地の多くで集合ポストから創価学会員が投票券を抜き出して、代わりに投票する事案があったということで、そのことを父の証言は生々しく物語っていると私は思います。

















幹部カードのこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



私は青年部時代、バリバリの創価学会の活動家でした。私が活動から遠ざかって非活の身になるのは、男子部から年齢的に壮年部に移行する時期のことです。
かつての青年部ではあまりにバリバリの活動家であったため、最終的に総総県、方面幹部にまでなってしまいました。その結果、幹部面接を何度も受けました。また幹部カードも何度も書いたりしました。
活動家時代、意外に面倒くさかったのが、この「幹部カード」の記入です。今回はこの「幹部カード」について書いてみましょう。



幹部カードは、幹部面接を受ける際に必ず書かなければならない、一種の履歴書のようなものです。青年部の頃に書いた幹部カードは書くところがたくさんありました。一つでも間違えると書き直し。修正ペンや訂正印が許されないのです。分県の中心会館の事務所には「幹部カード」がたくさんありましたから、あらかじめ間違えた時のために多めに取っておいてから書いたことを思い出します。その後は知恵がついて、面接前にコピーを取って次にスムーズに書けるようにしておいたものです。



思い出せるだけでも以下のような項目がありました。


・所属組織(県、圏、区、本部、支部、地区、ブロック)
・顔写真を貼付、5cm×5cmのスーツ姿、撮影月日も確認される。
・住所、氏名、学生部は帰省先も。
・年齢、生年月日、入信月日
・電話番号、携帯電話
・学歴、職歴
・役職歴(未来部も含めて全て、年月日も)
・教学資格(取得年月日も)
・家族構成、同居別居全ての家族の生年月日、入信か未入信か、入信していれば入信月日と役職
・本尊流布数(布教成果数)
・各部所属(国際部、教育部、団地部、守る会等)
創価班、牙城会の期、及び役職



だいたい教学資格で「助師」とか「青年教学3級」とかを取得した年月日なんて、証書を見ないとわかりません。いちいち任命書を棚から引っ張り出して書くのが面倒くさくて大変でした。顔写真も無人の証明写真で撮ると怒られたものです。わざわざ写真屋さんに行って撮ったことを思い出します。
で、それだけ苦労して書いた幹部カードですが、面接の際に幹部はさして見ないのです。せいぜい「本尊流布数」「布教成果数」が気にされるくらいです。



この幹部カード、書くのが本当に面倒くさいので、コピーをとっておいたものです。コピーを見ながら同じようにきちんと写して書いて、面接の際に文句を言われないようにしました。その割に面接幹部によっては「ここは書き方が違う」とか言い出すこともあったので、「以前の面接の際に◯◯方面男子部長はこう書けと言われていましたが」と言い返したことがあります。その幹部は怯んで話題を逸らしたものです。



創価学会大石寺系宗派から離れて久しいので最近の事情はよくわかりませんが、もしも未だにこの「幹部カード」なるものを使って人事面接をやっているなら、早く廃止すべきかと思います。



追記
この記事を書くにあたり、昔、とっておいた幹部カードのコピーを探したのですが、見つかりませんでした。非活から退会になる際に棄ててしまったようです。我ながら本当にこれを書くのが面倒くさかったので、相当に嫌だったのでしょう。














御書辞典のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、創価学会聖教新聞社の刊行物は、今はほとんどが面白くも何ともないのですが、かつては『富士宗学要集』等、教学研鑽に非常に重宝するものがありました。



その中で、今でもブログ執筆の際、個人的に意外と役立っている本が一つあります。
それは昭和51年発刊、創価学会教学部編著の『日蓮大聖人御書辞典』です。

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この『日蓮大聖人御書辞典』が出版されることになった経緯が、この辞典の序文や後記に詳しく書いてありますので、今回紹介してみましょう。



もともとこれを作ろうとしたのは、創価学会の関西方面の教学部でした。具体化の動きが始まったのは、昭和48年(1973年)6月のことです。
元関西長の柳原延行氏は後記で「御書全集に自ら取り組んでいくための補助として仏教用語の辞典が求められるに至った」と述べ、こうした状況の下、この辞典は御書全集の仏教用語をわかりやすく解説することを第一義に執筆・編纂が始まったそうです。



同年7月、創価学会関西学生部員を中心として編纂委員会が設置され、作業が始まります。
最初は用語・語句の選定と収集で、当時既刊の『仏教哲学大辞典』と『教学小辞典』から用語や語句を一つ一つカードに書き出していくという、気の遠くなるような作業から始まります。
関西の創価学会教授の代表約2500人が第1次原稿の執筆に取り掛かり、その後延べ300人の教学陣が編纂委員となります。各委員会は仏教用語、仏教哲学、歴史、一般哲学、社会科学、自然科学、心理学の部門別に編成され、各部門は10〜15人で構成されたと言われています。
昭和48年末には約7000項目の1次原稿が完成します。



ここから各部門で、多くの人が納得するためには客観的な記述が必要であると判断し、大幅に加筆修正を加えることになります。この加筆修正を担当したのが、昭和49年3月に編成された学生部を中心とする「編纂チェック委員会」でした。執筆にあたり、歴史書や大正新修大蔵経の原典にまできちんと遡って厳密に語句の元意を検討し、平易な現代語に置き換え、更に仏教用語に関しては日蓮教学からの再検討も行っています。この編纂チェック委員会は仏教用語、天台教学、歴史、一般用語の4部門に分かれ、膨大な資料を前にして悪戦苦闘の連続、更には語句の解釈に多くの異論が噴出し、夜遅くまで討論が交わされたと言います。加えて史実の考証のために文献調査に伴って現地に赴いての実地調査や問い合わせ確認までなされています。



並行して女子部学生局のメンバーによる執筆完了原稿の清書作業が行われていきます。当初の構想は総合的な仏教辞典のようなものを予定していたようですが、「御書を読むための手頃な辞典を」との要望に応える形で「日蓮大聖人御書辞典」として大幅な項目の補充を行います。このため、項目数は2倍にも増え、引き続き執筆作業が進められます。
このような関西創価学会の熱意に打たれる形で、原島嵩氏を中心とする東京の創価学会教学部が何度となく来阪をし、語句の意味の検討がなされました。



昭和50年(1975年)7月、遂に1万2000項目の原稿が完成、初校のゲラが刷り上がると、東京の教学部による最後の検討が加えられます。その結果、辞典の趣旨の充実のため更に約4000項目を追加することになり、新メンバーも加えて執筆が続行されます。そして3年余りの月日を費やし、昭和51年(1976年)11月18日に、この『日蓮大聖人御書辞典』は上梓する運びとなります。



凡例を見ると参考文献にきちんと大蔵経や他宗派の文献、原典にもきちんとあたっており、執筆に客観性と歴史的考証を重視した跡が窺えます。

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これらは関西という方面の有志から起こった教学の一つの運動とも言うべき事象でしょう。
では果たして現在の創価学会にこれだけのことをやろうとする気概があるのかどうかと問うなら、私は全く望めないと思います。またこのような教学運動を方面組織の有志で行おうものなら、上の幹部や信濃町本部が止めることでしょう。創価学会はこのような教学の追求をもはややめてしまったのであり、現在の活動家たちは教学の重要性も知らず、信濃町に従順で何も知らない人たちになってしまったのだと思います。



そんな経緯で発刊された当御書辞典ですが、今、読んでも客観的な考証に耐え得る記述もありますし、特に日蓮の御書を読むだけならばわからない語句をすぐに引ける利点は大きいでしょう。と同時に当時の教学陣の熱意を感じる一冊であり、私としてはかなり重宝しているところです。『仏教哲学大辞典』などより比較的ハンディで使いやすいんですね。
この『日蓮大聖人御書辞典』、すでに聖教新聞社からは絶版となり発刊されていませんが、ヤフオク等、ネットで古書がかなり出回っていまして、さほど高くない値段で購入することができます。日蓮正宗の偽作教義に染まっている部分ももちろんあるので全面的に信用し得るものではありませんが、純粋に御書の研鑽を考える方なら買っておいても損はないかと思います。