気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

知的アクセサリーの装飾から離れて。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、昨年末の出会い以降、犀角独歩さんと多く話す機会に恵まれ、様々に刺激を受けました。本当に感謝します。
もともと犀角独歩さんのブログは以前から読ませて頂いていまして、勉強させて頂いていました。


「犀の角のように独り歩め」

「『息衝く木村文洋監督を囲む会に参加」


今年に入って、大石寺教義、また日蓮自身の神道からの影響について、大木道惠さんや犀角独歩さん他様々な方からご指摘を受け、自身の先入観を改めて自覚させられました。


そもそもブログ開設当初からの一つの課題として、私は日蓮よりも龍樹思想に接近していました。
というのは、日蓮を学んでいくうちに、日蓮の教義の限界を自覚するようになり、次第に日蓮そのものから心が離れてきていたからです。


私は別段ここで日蓮その人を軽視しているわけではなく、また日蓮の宗教的な情熱や動機までを否定しているわけではありません。
ただ私が日蓮を信じるに足るのかという点について、私自身、次第に疑問符がついてきただけのことです。


私が龍樹を知ったのは、学生時代のことで、主に90年代の後半、ちょうど流行思想として記号論や現代フランス哲学が“現代思想”として持て囃されていた時期でもあります。
その時期に例えばイスラーム思想の井筒俊彦氏やソシュール現資料研究の丸山圭三郎氏等の著作に触れ、彼らはそこで龍樹を引用して、その思想の記号論との親近性について述べたりしていました。


そんなところから龍樹に関心を持った私は、中村元氏の『龍樹』、また中村元氏の訳業に批判的な西嶋和夫氏訳・サンスクリット対照の『中論』改訂版、また細川巌『龍樹の仏教』(ちくま学芸文庫)などを読んでみたりしました。


今となって気付かされた私の最大の誤りは、哲学や思想畑の視点で切り取られた龍樹思想がそもそも龍樹の全体像であるかのように誤読をし、それを仏教全体の視点であるかのように、牽強付会に敷延しようとしていた、その姿勢であると思います。


そもそも犀角独歩さんも指摘されたように龍樹は思想家ではなく、宗教者です。
また『中論』ばかりを持ち上げ、龍樹を宗教者としてより、思想家や一人の哲学者として見ようとするなら、そもそも念仏を強調する『十住毘婆沙論』の存在が宙に浮く格好になろうかと思います。


実はこの辺についてブログで以前書いていた内容も、読者からも「やや難解」とされましたし、私自身「それらは日蓮とは関係がない哲学的な議論なのではないか」との疑念があり、中論の読解も途中でストップしていました。


そして今回、犀角独歩さんたちと知り合い、お話を聞くにつれ、今までなんとなく思ってきた疑念が晴れたように思います。


私は哲学的な議論を否定するわけでもありませんし、龍樹の思想に現代哲学の方面から評価すべき知見が全くないとも思いません。
ただそれらの親近性を指摘して、換言するだけなら、それは単なる代替の提示であって、真に龍樹を読んだことにも日蓮を読んだことにもならない筈です。



ではなぜそのような誤解が私に起こったのかと言えば、それは昭和35年以降の創価学会の「知的アクセサリー化」(溝口敦)にあると思っています。
創価学会昭和35年に月刊誌『潮』を創刊します。昭和37年1月には東洋学術研究所が設立され、4月には公明新聞が発刊されます。
溝口敦氏はこれらの文化活動と称した創価学会の一連の動きについて次のように述べています。


「『潮』は創価学会の『一般への窓』(央忠邦)の最たるもので、上条末夫はその機能を、『第一は文化人への“撫徇工作”であり、第二には一般人の“懐柔工作”である(上条『創価学会の“文化人工作”』『改革者』昭和45年3月号)と評している。執筆場所の提供や高額な謝礼によって、大学教授や文化人に関係をつけ、また心理的な負い目を負わせて彼らを自陣、もしくは中立に立たせ、さらに購読者に対しては、著名な文化人の執筆論文で釣り、創価学会アレルギーを解消するという戦術である。」
(溝口敦『池田大作「権力者」の構造』275ページ、講談社+α文庫、2005年)


溝口敦氏の見解に同意されなくとも、少なくとも創価学会は事実として東洋学術研究所や潮出版社を設立し、溝口敦氏が「知的アクセサリー化」と称した文化活動を創価学会本体が展開してきたことは否定できないでしょう。


私はそのような知的なアクセサリー化の過程の中で多感な青年時代を過ごしました。第三文明社のレグルス文庫には龍樹の著作や仏教関連の著作が多く含まれていましたし、池田大作氏や川田洋一氏、また原島嵩氏の著作では日蓮仏教を生命尊重主義から読み解くような論考が多く展開されていたように記憶しています。


つまり池田大作氏を筆頭に、創価学会は現代的意義だと称して、日蓮教学の大胆な敷衍をやってきた、そしてそれが本来の仏教であると誤解したまま進んできてしまったんですね。


それが一時停止するのは、大石寺からその在家主義的な行き方に疑義が呈された、いわゆる昭和52年路線であり、『仏教史観を語る』で提示された池田大作氏の仏教観の安易な換言でして、この姿勢に対して大石寺側は明確に否定してきたわけです。
ところが、この換言による安易な敷衍の姿勢はその後も変わらず、現代的な言葉で仏教を語ることが現代における創価学会の意義であり、正当なことだとする池田氏由来の風潮が醸成されてきてしまったのだと思います。


平成2年の「創価ルネサンス」という語がまさにそのリアリティを如実に語っていると思いますし、またそのような具体例は、例えば波田地克利氏の「池田大作転輪聖王」説や「戒壇建立=大学建設」説、正木正明氏の宗創相対・池創相対説など多く散見されます。
そもそも選挙の支援活動を信仰の活動と定義すること自体、単なるこじつけ以上の何物でもありません。しかしそのような教義上の換言と安易な敷衍の姿勢は、現在の創価学会ではもはや常態化していまして、そのことを自覚することさえ多くの方ができていないのでしょう。


私はそのような知的アクセサリーによって装飾された創価学会の世界で多感な青春時代を過ごしました。
そのような哲学的な代替物で、日蓮教学を補完することが日蓮教学の現代的な在り方であると勝手に勘違いして生きてきたことになります。
しかし当たり前のことですが、そもそも日蓮鎌倉時代の宗教者であり、それらは前提として鎌倉時代の文脈から読み解かれ、理解されなければならない筈です。


そんな訳で、私は自身の思想的営為、哲学的言説が、宗教者の日蓮や龍樹とはなんら関係がないのだということをきちんとここで認めたいと思います。
ただそのことは、私が哲学的思索をやめることを意味していませんし、むろん日蓮や龍樹を軽視することでもありません。
私はあくまで、自身に誤りがあったのなら、それは率直に認め、学問的に誠実でありたいと考えているだけです。
自身の追求の姿勢に一定の普遍性が得られないとすれば、それを自己批判して新たに考え直すことは誰にも許されていることだと思います。