2019-01-12 本地久遠実成釈尊垂迹富士浅間宮。 いつもみなさん、ありがとうございます。さて私は以前、大石寺の法主が浅間神社に書写本尊を奉納していた事実をブログで紹介したことがあります。「神社に奉納された御本尊」http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/03/09/031232「複数の神社に存在する大石寺の本尊」http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/11/27/000000この中で大石寺33世日元書写本尊(静岡県沼津市浅間神社蔵)の向かって左脇に書かれている文字に今回は注目してみます。冒頭画像で赤くマークしたので見て頂きたいと思います。ここに書かれているのは、「本地久遠実成釈尊垂迹富士浅間宮」という一文です。浅間宮とは当然ながら浅間神社のことです。そして浅間神社の祭神は「木花咲耶姫命」(コノハナサクヤヒメノミコト)です。木花咲耶姫命は天照大神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の妻で、富士山を神山とする浅間神社に祀られています。その祭神・木花咲耶姫命が「本地久遠実成釈尊垂迹」であるとするなら、釈尊の生まれ変わりが木花咲耶姫命であることを大石寺の法主が明確に本尊に書いて認めていることになります。つまりこの頃の大石寺の教義には明確に神社との関係が存在し、天照大神等の諸神も本地久遠実成釈尊の垂迹であるとする、神本仏迹説が普通に存在したということになります。思うに、神社への参拝を禁止する現在の大石寺の教義は、昭和以降に創価学会の影響によって形成されたところが大きく、本来の大石寺はやはり神道や浅間神社との関係が深かったのだろうと推測せざるを得ないと私は思います。参考文献:柳澤宏道『石山本尊の研究』はちす文庫、1997年。