気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

北山伝灯院日祥の存意書から。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺戒壇本尊に関して北山本門寺の見解として、以下のような資料を富士宗学要集に見出すことができます。一部を引用してみましょう。



「此段悉く違背の旨に御座候本末師弟の重義を忘却致し大石寺は因縁之有りなどと甚だしき軽蔑不法の至りに御座候、末寺たるの上檀家を教導致し本寺へ参詣させ本尊等受けさすべき筈、然るに法華寺の僧侶ども吾本門寺に参詣を関留め他の大石寺へ参詣を勧め候義不法の至り且つ大石寺日蓮一期弘法の為の大事戒壇の本尊之有りと申す義は以ての外の義に御座候、既に宗祖聖人上行等の四菩薩書き現はし給ふ十界具足の本尊は都て是一期大事の本尊に有らざるは之無く、将又戒壇の即是道場に候へば本尊安置の処皆是戒壇に有らずや何ぞ大石寺に限らんや、殊に同寺の戒壇の本尊之有りと申す事疑難少なからず、抑も日興門流においては戒壇と申すことは拙寺に限り候、其聖跡は開山三堂建立せらるる其の棟札に、一日蓮聖人御影堂、一本化垂迹天照大神宮、一法華本門寺根源、裏書に国主此法を建てらるるの時は三堂一時に造営すべき者なり、願主白蓮阿闍梨日興判と記し什宝に之有り候、之即ち戒壇の礎石相定め置かれ候豈大石寺戒壇の義有らんや、且つ本尊の義拙寺に宗祖真筆の本尊数多之有り、其中に万年救護の大本尊と申し御判の辺に本門寺に懸け万年の重宝たるべしと之有り候間、開山以来より万年救護の大本尊と申し第一の重宝に之有り候、是即ち戒壇の本尊にて御座候、此外に戒壇の本尊大石寺に之有らんや、全く欺かれ候義不便に御座候」
(北山伝灯院日祥の存意書、慶応元年12月、富士宗学要集9-153ページ)


私個人の見解として日興の本門寺の構想は、北山本門寺とか上条大石寺とか、ある一つの寺を「本門寺」とするのではなく、広宣流布の時に至って複数の寺を「本門寺」とする、国分寺のような考え方を採っていたと考えています。それ故に別段上条大石寺とか北山本門寺とか、どこか一つの寺がその唯一の本門寺の役割を果たすとは思っていません。


「本門寺に懸けられるべき本尊」


私個人の意見はさて措くとして、ここで注目されるのは「万年救護本尊」を大本尊として「本門寺の重宝」とする見解を北山がここで示していることです。
ただ北山本門寺では弘安3年5月9日の日禅授与曼荼羅を「万年救護本尊」と呼称するようなので、この「万年救護本尊」が保田妙本寺の万年救護本尊を指しているわけではないのかもしれません。


更には、

「此外に戒壇の本尊大石寺に之有らんや」

「将又戒壇の即是道場に候へば本尊安置の処皆是戒壇に有らずや何ぞ大石寺に限らんや」

「殊に同寺の戒壇の本尊之有りと申す事疑難少なからず」

と、弘安2年造立説の戒壇本尊の信憑性について、この当時から疑念を北山が表明していたということになります。