いつもみなさん、ありがとうございます。
さてそう考えると、実は氷解する謎がありまして、日興の『三時弘経次第』にある以下の一節です。
「天照大神勅曰 葦原千五百秋之瑞穂之国。是吾子孫可王之地也。宜爾就而治焉。行矣。寶祚之隆当與天壌無窮。」
ここで日興によって書かれている「葦原千五百秋之瑞穂之国」とは『日本書紀』における「瑞穂の国」のことで、日本国の美称です。
さてそう考えると、『三時弘経次第』における本門寺の垂迹神が「天照大神」「八幡大菩薩」であると説かれていることがよくわかる気がします。以前のブログで日蓮正宗歴代法主全書の当該ページの画像を載せましたので見て頂ければと思います。
「富士山・本門寺の久成釈迦仏」
とすれば、日興が日蓮から引き継いだ思想の一つに明らかに神道があり、それらの日本神話を日興は日蓮からの教えとして引き継いで展開し、それらが富士門流の教義として残ったということになるかと思います。そうなると元々の五座の勤行の初座の御観念文には天照大神、正八幡大菩薩が含まれていた理由もわかりますし、御本尊の表面に法華経の会座には登場しない筈の天照大神と八幡大菩薩が常に曼荼羅の表面に書かれていることの理由もわかる気がします。
つまり元々の大石寺の教義には神道の影響が存在し、それは『本尊三度相伝』等で大石寺には教義として伝えられていた筈なのですが、それが昭和以降、神本仏迹説を唱えた小笠原慈聞氏が創価学会の狸祭り事件で吊るし上げられたように、徐々に創価学会によって侵食を受け、本来の教義が失われてきたというのが大石寺の歴史なのだろうと思います。大石寺の旧檀家さん、伝統講さんたちの持っている信仰観と、創価退会組によって多くが占められる新参講さんたちとの教義理解の齟齬は実はその辺に端を発していると言えそうです。