気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺と神道のこと。






あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
いつもみなさん、ありがとうございます。



さて先日の懇親会で、犀角独歩さん、大木道惠さんに教わったことはあまりに多く、全てがここに書けないでいますが、少しずつ整理しながら書いていきたいと思います。


私は現在の大石寺の教義の多くが、昭和以降の創価学会から逆に影響を受けて変容してきたと考えています。
例えば本来「謗法厳誡」や「謗法払い」ということを主張したのは創価学会であったはずです。またそもそも大石寺には元来登山会という習慣はなく、戸田城聖の時代に本山のためにと始まったものです。


「登山会のこと」

「順逆ともに来たれ」


上記の「順逆ともに来たれ」で、私は大石寺の教義が他山や創価学会からの逆輸入によるものが多く、その中で自山のアイデンティティを形成してきたと述べ、本来の大石寺の独自性というものがなかったように臆断しています。


大木道惠氏に今回質問したことは、「では本来大石寺に存在していたはずの独自性とは一体何だったのか」という点です。
回答は明確でした。


「それは神道です」


一瞬、絶句してしまいました。


自身の中で未消化ですが、大木道惠さんら参加者の方から教わったことを箇条書き風に書いてみたいと思います。


1、日蓮の中に神道へのエレメントが存在しているが、それを端的に示しているのは『不動愛染感見記』の中の「金烏と玉兎」である。金烏は神武天皇を導いた3本足の八咫烏のことであり、太陽の化身である。


2、したがって『本尊三度相伝』に示されるような神本仏迹説は、本来大石寺に存在していた教義であり、その意味では神本仏迹説を唱えた小笠原慈聞の説は本来の純粋な大石寺教義であったということが言える。


3、大石寺に本来「分身散影」という教義があるが、これは神道に通ずる教義であり、具体的には三種の神器の教義と通ずる。例えば八咫鏡御神体伊勢神宮に存在し、その形代(レプリカ)が皇居に存在する。これらの教義は本来神道のものだった。


まだ私は上記の発言について、未消化の部分もあり、まだ全てを理解したとは言えません。
しかしながら、例えば北山本門寺には「法華垂迹天照大神宮」が存在し、また大石寺にもまた古来「天王堂」「垂迹堂」が実在したこと、そして『本尊三度相伝』が長く大石寺相伝として伝えられてきたことを考えれば、大石寺アイデンティティ神道があったことは否定し得ない気がします。


「法華垂迹天照大神宮のこと」