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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『種種御振舞御書』の改竄。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて現在、私は日蓮遺文に関して、創価学会版の御書全集から離れて、少しずつ昭和新修・平楽寺版を繙くようにしています。
先日の記事で、『観心本尊抄』の読み下しの問題を取り上げましたが、創価学会版や大石寺平成新編等、大石寺系の遺文集は読めば読むほど問題が多いように感じます。
今回は『種種御振舞御書』の改竄について取り上げてみましょう。



まず昭和新修・平楽寺版の『日蓮聖人遺文全集』から、『種種御振舞御書』の一節を引用してみます。


「同じき十月十日に依智を立つて、同じき十月二十八日に佐渡の国へ着きぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ、塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に、一間四面なる堂の仏もなし。上は板間合はず、四壁はあばらに、雪ふり積りて消ゆる事なし。かかるところに所持し奉る釈迦仏を立てまいらせ、敷皮打ちしき蓑打ちきて夜を明かし日を暮らす。」
(昭和新修・平楽寺版、日蓮聖人遺文全集下1373ページ)


では次に、創価学会版の御書全集から当該箇所を引用してみましょう。よく見比べて頂ければと思います。


「同十月十日に依智を立つて同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所に敷皮打ちしき蓑打ちきて夜を明かし日を暮らす。」
創価学会版、日蓮大聖人御書全集916ページ)


創価学会版で削除されている一節がおわかりになったでしょうか。
具体的に述べれば、創価学会版では「所持し奉る釈迦仏を立てまいらせ」という一節を完全に削除しているのです。
つまり日蓮佐渡の塚原に入った際に、堂の中に日蓮自身が所持していた釈迦仏を安置したという一節が完全に消されているということです。


これはもはや訓読の誤りとかそういう問題ではなく、完全に改竄・削除の部類に入ると思われます。したがって創価学会版や大石寺版の編集姿勢は日蓮遺文を原文のままに読者に紹介する態度とは言えず、意図的に日蓮の文を削除改竄することも辞さないということになるでしょう。


日蓮本仏説を主張する創価学会等の大石寺系門流にとって、佐渡の日蓮が釈迦仏を塚原に安置していたと日蓮が書いていた事実は都合が悪いのかもしれません。
しかし書かれたものを意図的に削除することも辞さないとするなら、それは信仰者として真摯な日蓮門流の態度とは到底言えないと私は考えます。



追記:
『種種御振舞御書』は建治2年の述作とされます。『高祖遺文録』の著者である小川泰堂氏は、現行の『種種御振舞御書』テキストを決定するにあたり、末段に『光日房御書』の末文を補綴して現在の形になりました。すなわちこの御書は『種種御振舞御書』『佐渡御勘気抄』『阿弥陀堂法印祈雨事』『光日房御書』の4編を接続したものになります。真蹟は身延曽存で、大石寺4世日道の『三師御伝土代』にも一部引用され、また中山法華経寺3世日祐の目録にも書名が記載されていますから、日蓮の真蹟であることは揺るがないと思います。