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「釈尊を本仏とする文証」
「釈迦一仏にかぎりたてまつる」
「釈迦如来のたましい我が身に入り」
「今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して教主釈尊の御子なり、教主釈尊のごとく法王とならん事・難かるべからず、但し不孝の者は父母の跡をつがず尭王には丹朱と云う太子あり舜王には商均と申す王子あり、二人共に不孝の者なれば父の王にすてられて現身に民となる、重華と禹とは共に民の子なり・孝養の心ふかかりしかば尭舜の二王・召して位をゆづり給いき、民の身・忽ち玉体にならせ給いき、民の現身に王となると凡夫の忽ちに仏になると同じ事なるべし」
読んでおわかりかと思いますが、親への孝養の思いが深い故に、凡夫の身でありながら忽ちに王の身になることができる、それ故に釈迦への孝養の思いがあればこそ、凡夫もまた仏に忽ちになれるということが説かれています。
つまり文永期、佐渡以降の諸抄においても、日蓮は一貫して釈迦を本仏として崇めていたのであって、一切衆生は「教主釈尊の御子」である故に、釈迦への孝養の心が深いほど教主釈尊ほどの仏に忽ちになれると考えていたことになります。そしてこの翌年、文永10年に『観心本尊抄』が書かれることとなります。