いつもみなさん、ありがとうございます。
日蓮本仏説は保田妙本寺14世日我が『化儀秘決』で唱えた「末法の釈迦とは日蓮なり」が先でして、それらの影響を受けて大石寺側は26世日寛の『末法相応抄』で日蓮を本仏とする思想を展開するようになったのが史実に近いと私は考えています。
「日蓮本仏説は後世の創作に過ぎない」
「日蓮本仏説の萌芽」
「富士山本門寺の久成釈迦仏」
「本師を釈迦如来とする日興」
「日寛の説く『日蓮=釈迦』の同仏説」
「釈尊を本仏とする文証」
上記のうち、「日蓮本仏説の萌芽」中で述べましたが、そもそも日蓮を釈迦と同体の仏とする教義は大石寺よりもむしろ保田妙本寺が先行して説いていまして、それらが大石寺に影響を与えたというのが実態だろうと考えられます。
例えば保田妙本寺11世日要の『六人立義草案』には以下のような記述がありました。
(日要『六人立義草案』富士宗学要集4-71ページ)
伝統的に日蓮を本尊とする教義が保田にもあり、それが大石寺18世日精に至って御影堂の考え方の基礎になったようにも思います。ただ日精に先行して保田妙本寺14世日我は明確に「日蓮本仏説」を採っていまして、大石寺26世日寛の『末法相応抄』における本仏説よりも先行していることがわかるかと思います。