気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

教団に拠らない非活の人たち。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私がこのブログを開設したのは2016年9月頃だったかと思います。
当初は本当に気楽に、自分が今まで信じてきたものの検証、自己批判をやっていました。
今でも気楽にのんびり書いている姿勢は基本変わりません。


私は創価学会を非活になり、実質的に退会して以来、一度大きな病気を患いましたが、その後、体調は好転し、今では本当に健やかで穏やかな毎日を送っています。


たくさんの友人も新しく出来ましたが、最近強く感じるのは、私のような非活メンバーが少しずつ創価学会に、また大石寺にも出てきていまして、今までの教義や史実の検証を個々にされる方が増えてきていることです。


元より私は教団や外の人たちに影響を与えようと思ってブログを書き始めた訳でもありませんし、別段趣味の延長のような感じでやっていたものです。それに私一人の力では史料の収集にせよ教学の研鑽にせよ、自ずと限界があります。


それが今さまざまなルートを通じて(多くはSNS等のネットからですが、直接お会いした方もいらっしゃいます)、いろんなことを考えて、教団の教義や歴史を調べ始めている方が出てきているんですね。


私一人でいろいろ考えるだけなら、私の主観も知識不足も否めませんが、多くの方が少しずつ教団の欺瞞を知り、その事実を調べて明らかにしていくならば、教団もまたその時に自ずと重い腰をあげなければならなくなるでしょう。


事実、ここ数ヶ月のブログ記事の内容や史料画像の多くは、さまざまな方からの情報提供によるものであり、そのほとんどが創価学会の非活メンバーだったり、大石寺末寺の非活信徒さんだったりします。
少しずつそういった方が多く研鑽を深めていまして、自分の頭で考えようとし始めています。
少し前にお会いした大石寺末寺の信徒さんも、自力で日蓮遺文を調べあげていました。彼によれば『御本尊七箇相承』は現在の大石寺ではタブーとされ、平成新編にも収録されず、同書が収録された『日蓮正宗聖典』も再刊されていないとのことです。


教団の都合で、信徒に史料を出したり隠したりするのは教団の勝手ですが、史実を歪曲して他門流や他宗を悪し様に罵るなら、それらに関して教団自体が批判されなければならないはずです。


私は教団の権威など何とも思っていません。
創価学会という教団が仏であるとする考えなど噴飯ものだと思いますし、大石寺という寺が日蓮日興の正しい血脈を受けた教団であるとする正嫡意識などさらに噴飯ものだと思います。
教団の権威は捏造して作られるものなのではなく、自然発生的に信徒の思いから醸成されるべきものでしょう。そうでない宗教的権威など単なる作られた虚像であり、伽藍信仰と何も変わらないかと思います。