気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

写真に撮影されていた飛び曼荼羅。

f:id:watabeshinjun:20181127180438j:plain









いつもみなさん、ありがとうございます。



さて御本尊を写真撮影することが「不敬」とか「謗法」にあたるとする、大石寺側の教義は後世になって大石寺が言い出したことであり、昭和30年代までは普通に聖教新聞の機関紙等で本尊の写真画像が公開されていました。もちろんそのことに関して、当時大石寺宗門側が批判した事実は存在していません。


「御本尊の写真撮影」


やや邪推になりますが、戒壇本尊の相貌と『御本尊七箇相承』の本尊書写の具体的な指示とが異なることや、そもそも戒壇本尊を写したとされる日興の譲座本尊が戒壇本尊の相貌や書き方と全く違うことから、それらの事実流出の回避のために言い出したことのように思います。


冒頭の写真は、昭和27年4月10日の聖教新聞の記事ですが、ここでは大石寺の末寺である、仙台仏眼寺の本尊が写真撮影されています。
しかも驚くべきことに、これは創価学会の仙台支部総会での写真で、戸田城聖柏原ヤス、和泉美代、小泉隆、森田一哉が参加しており、加えて写っている本尊は仙台仏眼寺の重宝とされる通称「飛び曼荼羅」です。
付言すれば、導師が仏眼寺の僧侶であることは画像を見ればすぐわかりますし、また御本尊一体だけでなく、なんと複数の本尊を並置して拝んでいることが画像として残されています。


私は仏眼寺蔵の「飛び曼荼羅」が日興真蹟であることに疑義を抱いていますが、その論証は別稿に譲るとして、少なくとも大石寺末寺の住職も、大石寺とともに、曼荼羅本尊を写真撮影することになんら違和感を抱いていなかったことは疑い得ないと思います。