いつもみなさん、ありがとうございます。
ところで大石寺は、自山の正統性の証明として『二箇相承』(池上相承書と身延相承書[一期弘法付嘱書]の2通)をあげますが、そもそもこの『二箇相承』は偽書の疑いが強く、加えてこれらは本来北山本門寺に伝わってきた文書であります。
この『二箇相承』の信用性の低さについては、何度かブログで書かせて頂いています。
「『二箇相承』のこと」
「『二箇相承』写本の誤字」
加えて今回指摘したいのは原文の読み下しについてです。
写本は原漢文ですが、上段の『身延相承書』の後半を白文のまま書き出すと以下のようになります。
「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
(創価学会版御書1600ページ)
原文に「寺」という1字が含まれるなら、それが「本門寺」という寺の場所を指していることは疑い得ないでしょう。
ではなぜ大石寺が
「富士山【の】本門寺【に】戒壇【を】建立せらるべきなり」
ではなく、わざわざ
「富士山【に】本門寺【の】戒壇【を】建立せらるべきなり」
とやや不自然な読み下しをつけているのかという点が問題になります。
そこで大石寺としては教義的に「富士山【に】本門寺【の】戒壇【を】建立せらるべきなり」と読ませ、加えて「広宣流布の時に大石寺は『本門寺』に名前を変える」という教義を作り、教義の整合性を図ったというのが恐らく実態かと思います。