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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

天台の捃拾説。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮の『観心本尊抄』には次のような一文があります。


「次下の嘱累品に云く『爾の時に釈迦牟尼仏・法座より起つて大神力を現じ給う右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩で乃至今以て汝等に付属す」等云云、地涌の菩薩を以て頭と為して迹化他方乃至・梵釈・四天等に此の経を嘱累し給う・十方より来る諸の分身の仏各本土に還つて故の如くし給う可し等云云、薬王品已下乃至涅槃経等は地涌の菩薩去り了つて迹化の衆他方の菩薩等の為に重ねて之を付属し給う捃拾遺嘱是なり。」
日蓮観心本尊抄創価学会版御書252ページ)


鳩摩羅什訳・妙法蓮華経で、嘱累品は第22章で、薬王品は第23章に当たります。
日蓮はここで嘱累品で一度宝塔が閉まり、虚空会の儀式が閉じられて、諸仏が「各本土に帰還して去った」ことを述べています。
ところが、法華経を通読すればわかることなのですが、これは実は誤りで、薬王品の最後にはきちんと「宝塔」も出てきますし「多宝如来」も出てくるんです。
薬王品の最後を引用してみましょう。


「説薬王菩薩本事品時。八万四千菩薩。得解一切衆生。語言陀羅尼。多宝如来。於宝塔中。讃宿王華言。善哉善哉。」
(『法華経』下、岩波文庫版、210ページ)


読めばわかることですが、薬王品の最後でもまだ諸仏は帰っていませんし、ちゃんと宝塔中の多宝如来も臨席しています。
法華経をちゃんと読んでいれば、日蓮のこの記述が法華経の内容と相違していること、嘱累品以降に諸仏が各本土に帰ったとする見解が誤りであることはすぐにわかることです。


ではなぜ日蓮は、薬王品を意図的に無視するような態度をとって多宝如来等の諸仏が去ったと考えているのでしょうか。
その答えは先の『観心本尊抄』引用部分の末尾にある「捃拾」(くんじゅう)という語にあろうかと思います。


この「捃拾」という語は、天台宗における概念でして、例えば妙楽湛然の『法華玄義釈籤』では涅槃経を法華経より劣る「捃拾教」としています。
「捃拾」とは「拾い集める」という意味で、釈迦の出世の本懐として八千の声聞に授記をした法華経に対して、その利益に漏れた衆生のために説かれた経を「捃拾」としています(このことは『釈迦一代五時継図』でも書かれています。前掲御書643ページ参照)。


日蓮が法華最第一・比叡山再興の情熱を持っていたことは『立正安国論』等の諸抄からも推察できますが、この天台宗の概念を日蓮も踏襲しており、嘱累品以降の諸品は「捃拾」であると考えていたということになります。


法華経の薬王品は、後五百歳中の広宣流布の使命を宿王華菩薩に託し、無量の一切衆生を利益するようにと多宝如来が述べて終わります。
薬王品で「広宣流布」が託されるのは上行菩薩ではなく宿王華菩薩です。日蓮はこれを意図的に読み替えていることになります。
つまり日蓮天台宗の捃拾説に依拠して神力品に上行付嘱を求め、この捃拾説から薬王品の宿王華菩薩への広宣流布の付嘱について意図的に無視した形になっているということかと思います。



広宣流布は誰に委任されたか」


「二処三会は存在しない」


「本来の法華経の構成」