気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

寺内の僧俗に公開された相承。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私は以前ブログで、大石寺16世日就や17世日盈らが理境坊日義から相承を受け継いだことを書きました。


「理境坊日義の預かり相承」


このことはきちんと大石寺の文書に記録として残されています。
もう一度引用してみましょう。



「此の御消息は大石寺一院理境坊式部阿闍梨日義、寛永癸酉年九月十九日亥の刻病に臥して之を予に授けられ畢んぬ、日盈在り判
寺僧檀那孰れも見畢んぬ。
同月廿一日巳の刻遷化、当三代の間劫行不退殊に血脈相承等を預かつて相伝せらるるの条、他人に異るに依つて上人を贈り畢んぬ。
理境坊日義贈上人、日盈付属の御消息一幅御奉納の間筆を染むる者なり。
寛永十三年)子の十月十四日  日精在り判。
日盈御消息一幅を以って日精預かり候なり、仍て件の如し。月日前に同じ。」
(日盈記文、富士宗学要集8-50ページ)


大石寺の相承は「唯授一人」と呼ばれていますが、それが他の僧に一時的にせよ預けることができて、それを複数の法主が相承している史実は非常に興味深いことですが、それ以上に私が気になっているのはここに書かれている次の一文です。


「寺僧檀那孰れも見畢んぬ。」


理境坊日義から17世の日盈が相承を受けるのは、大石寺における「唯授一人の血脈相承」のはずです。それにも関わらず、その現場を「寺僧檀那孰れも見畢んぬ」と書かれているということは、すなわち「大石寺僧俗檀信徒たちも皆、相承の現場を最後まできちんと見ていた」ということになり、公開されていたということになります。


現在の大石寺は「唯授一人の血脈相承は御当人にしかわからない秘儀」とする考え方を現在も採っているかと思いますが、少なくとも日盈の血脈相承の儀式は大石寺の僧俗の皆が見ている前で行われており、この時まで特に秘密にするようなこともなかったということでしょう。