気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

天英院のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺の三門は江戸幕府の6代将軍・徳川家宣正室である「天英院」(近衛凞子)によって寄進されています。


ところが、この天英院は大石寺の純粋な信徒ではなく、大石寺に布施供養するだけでなく、自身の菩提寺でもある浄土宗の増上寺にも布施供養をしています。また祐天寺に鐘楼の寄進もしています。


彼女は観音信仰も曼荼羅信仰も許容する人物でした。亡くなった天英院は浄土宗の増上寺に葬られていますが、昭和34年の調査で彼女の遺品に香木で作られた十一面観音像が発見されています。


当時の武家や公家の妻女が自身の嗜みとして、自分の贔屓の寺や神社に布施供養を行う風習がありました。例えば敬台院などもそうかと思います。


「敬台院と日精のこと」


ところで、現在の大石寺の教義では、天英院からの供養寄進を受け入れることは「謗法からの供養」になってしまうはずです。
なぜなら天英院自身が他宗の寺にも布施供養を行なっており、観音信仰も持った人だったからです。彼女からの供養を受け入れるなら「謗施」になってしまうでしょう。




追記:
ちなみに天英院の墓は分割されることがなく、大石寺にも常泉寺にも存在しません。それにもかかわらず大石寺境内の五重塔のそばに彼女のための五輪塔が建てられています。
自山に布施供養をする人物なら、他宗の信仰をする人物も認めて受け入れるなら、所詮大石寺の「謗法厳戒」も単なる額面だけのポーズに過ぎず、ダブルスタンダードであると批判されても仕方ないと思います。