気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

短絡的な「仏法=師弟」観。






いつもみなさん、ありがとうございます。


さて創価学会の現名誉会長である池田大作氏は「仏法の究極は師弟である」と発言しています。


「仏法の究極は師弟である。『師弟不二』である。『仏法を持つ』ということは『師弟不二に生きぬく』ということである。『師弟、師弟』と口先では何とでも言える。しかし現実は、そんな簡単なものではない。」
池田大作・スピーチ、第55回本部幹部会、全国青年部幹部会、2005年12月8日、『池田大作全集』第99巻所収)


本部幹部会の同時放送に参加した会員さんも、さまざまな場面で、池田氏が「仏法は師弟である」と幾度となく発言してきたこともよく見て聞いて知っているかと思います。


私はそもそも師弟という考え方は仏法ではないと思っています。


「仏法は師弟なのか」


そもそも仏法以前のヴェーダ思想すでに師子相承の考え方は存在していました。
そこに親近性がある可能性を否定はしませんが、だからといって「仏法の究極は師弟だ」と結論付けるのは、安直な発言に過ぎないと思います。


検証もなく、安易に断定的な発言をされるのは池田氏の傾向ですが、また同時に多くの池田氏の弟子を自称する方にも共通しているでしょう。その短絡的な発想そのものが外から批判されているというシンプルな事実を、原理主義的な信徒の方はもっと自覚されるべきかと私は思います。