いつもみなさん、ありがとうございます。
さて、私は
大石寺系教団について、その自教団の教義や、また
池田大作氏等の教団指導者の無謬性を過信して、否定することができない人たちを一種の「
原理主義」であると考えています。
「
原理主義」という言葉は様々な使われ方をしているものですが、私の考える用例としては、教団指導者や教団の
聖典を一種無謬のものとして、批判的検証をすることができない人たちを「
原理主義」としています。
例えば
池田大作氏が言ったから正しい、そこに批判的検証ができず、その点に言及されると論点をずらしたり、誤魔化したりする姿勢は非常に
原理主義的であると思います。
また
大石寺の教義について、その矛盾点を指摘されると途端に論点をすり替えて、人格否定の罵詈雑言しかできない
大石寺信徒さんもまた、私からすれば「
原理主義」であると思います。
要するに過去に
池田大作氏が言ったから正しいとか、
戸田城聖氏が言ったから正しいとか、あるいは
大石寺の
法主がこう言ったから正しいとかいうのは全て単なる無謬主義であり、盲信を基にした
原理主義であると思います。
そのことを指摘された途端、言葉に詰まって反論ができず、その矛盾点を認めることもできず、論点を逸らして教団指導者や教義の無謬性を主張することしかできない人たちは基本的に「
原理主義」に過ぎないでしょう。
創価学会等の
大石寺系教団が批判されるのはまさにその点なのであって、過去の発言との矛盾を指摘されても、それを認めることができず、誤魔化すことしかできない信徒の姿勢はやはり「
原理主義」として批判されるべきかと思います。