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さて昨日のブログ記事で大石寺末寺信行寺所蔵の「紫宸殿本尊」が紫宸殿のための本尊であることの根拠が薄弱であることを述べました。
「紫宸殿本尊とは」
以下に戸田氏の発言を紹介してみます。
「その時に大聖人さまのご遺言があります。それは、かならず広宣流布する。その時に、天皇陛下が御本尊をいただきたいというに違いない。勅使を、かならず御本尊様のところに出すであろう。その時に、御本尊様がなかったならば困るであろうから予がしたためておく。そして、もし勅使がおみえになったならばこの御本尊様は、国家鎮護の御本尊様であるから、紫宸殿へかざるべし、これを紫宸殿御本尊と申しあげております。仏さまですから、もう広宣流布のできることをチャンとご承知で用意がある。
身延が広宣流布したとして、お前のところに紫宸殿御本尊があるであろうから、持ってまいれと、陛下からいわれたとして、身延は持っていけない。ましてや、このごろのかけだしの立正佼成会や霊友会にあるわけがない。どこにその紫宸殿御本尊があられるか、富士大石寺のご宝蔵にげんぜんとしてあるのであります。」
「広宣流布」という語を、現在でも創価学会は普通に用いていますが、では過去に戸田会長が言っていた「紫宸殿本尊」に関しては今後「広宣流布」の時にはどうするのか、その辺の教義の説明も過去の総括も全くないのが、創価学会や大石寺系教団の特徴であろうかと思います。