気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

自由な活動を。








いつもみなさん、ありがとうございます。



さてTwitterでも書いたことですが、活動家時代の私は自分の持つ組織を「人間的な血の通う楽しい組織」にしたいと思っていました。


今、私は非活になって、どこかの教団に別に所属などしなくても、友人たちと楽しく遊んで「人間的な血の通う楽しい組織」は自分の手で作っていけることがよくわかってきた気がします。


あるいはもしかしたら池田名誉会長の指導通りにやれば「人間的な血の通う楽しい組織」を作ることが可能なのかもしれません。


そう思う人がいるのは自由ですが、もしもそれが正しいなら、すでに池田氏は膨大な著作(どこまで代筆かは知りませんが)を残していますし、別に現今の創価学会組織に無理に残らなくても「池田氏の思想」とやらを学んで独自に組織を立ち上げれば済む話かと思います。
また本部幹部会で池田氏のスピーチを聞いたことのある方なんて全国に山ほどいるはずですから、彼らが自分たちの知る池田氏の思想から、自分たちの求める組織を構築していけばそれでよいのではないでしょうか。


ところで以前、創価学会幹部の本尊観について書いたことがあります。


創価学会幹部の本尊理解」


この理解が正しいとすれば、「創価学会員である人が拝むからこそ御本尊に正しい血脈が通う」のだそうです。なんとも噴飯ものの本尊理解ですが、もしもこれが正しいというなら、創価学会を辞めずに活動を停止しても退会しない限り、自分で本尊を求めれば血脈が通うことになります。なぜなら本尊に血脈を通わせるのは現在の創価学会のロジックでは一人一人の創価学会員なのですからね。恐らくは三代の会長に繋がっていれば信心の血脈があるという教団論理なのでしょうね(私は全く信じませんけど)。


要するに、平成3年以降の池田氏のスピーチや著作を繙いても、また現在の創価学会の教団を仏格扱いする在家主義的教義を聞いても、「在家は在家で自由にやっていいんだ」的な論理でしかありませんから、それなら無理に教団に従うこともないのではないかと私などは思ったりします。


公明党を支援したくないなら支援しない自分たちの組織を構築すればよいでしょう。教義についてもどんどん自由に求めて構わないと思いますし、宮田幸一氏や霜田静志氏、またいろんな日蓮系教団や仏教思想に接近しても構わないのではないかと思います。私はこんなブログを書いていますが、私のブログの見解を支持するのも支持しないのも読者の自由だと思いますし、また、より普遍性の高い方のブログが支持されれば私のブログなど自然淘汰されて、次第に読まれなくなっていくだけかと思います。


私は教団に所属せず、個人で信仰を深めていますが、創価学会の財務をやめてから行っていることは例えば積極的な寄付活動等です。


例えば震災被害や台風被害に遭われた地域への寄付金などに積極的に参加するようにしています。
宗教が目的のない金集めになってしまえば、何に使われているかがわかりませんし、私は自分の目に見えてわかる形で何か社会に貢献したいというのは本来、宗教者が持つ自然な発露かと考えています。
もちろん個人ですから大したことなどできるわけでもありませんけど、自分の意志で少なくとも何かに寄与したいとは考えて行なっています。


さらに付言すれば、私は大石寺の信徒さんや創価学会員さん、また様々な宗教の方から連絡を頂き、会ってお話をする機会も増えてきました。
退会される方、しない方、離檀される方、しない方、また未活動や非活になる方、さまざまな宗教に入られる方、いろいろです。
大石寺の信仰圏にいると、活動をするかしないかで罰が出るというような脅迫のような指導を受けることもあります。精神的に不安になる方も多いのですが、私と話したり私のブログを読むと「落ち着く」という方もいらっしゃいます。
そこで最近は積極的にそういった方に会うことにしています。もちろん教団の単なるドグマを振りかざすだけの原理主義的な信徒には会おうと思いませんが、悩まれている方の力になれればそれはそれで良いことなのではないかと思うようになりました。元々私は俗っぽく、低い人間性の人物であり、他者から尊敬されるような者でもありませんが、読者のみなさんに支えられているおかげかと考えています。本当にありがとうございます。


教団の論理から離れた独自の活動なんて誰でも自由にどんどんやってよいのではないかと私は思います。恐らく創価学会本体として、会員が分派活動をすることに対して「創価学会仏と三代会長から離れる故に血脈を失う」くらいのロジックでしか反論できないはずです。