いつもみなさん、ありがとうございます。
さて創価学会の第2代会長・戸田城聖氏は戦時中に15年戦争に対してどのような認識を持っていたのか、当時の史料から考えてみたいと思います。この当時の貴重な史料を提供してくださった方に感謝申し上げます。ありがとうございます。
ここでの戸田氏の巻頭言全文を引用してみます。なお漢字の旧字体は適宜改めました。
「我が国土の成立ちをたづねると、天御中主神が天瓊鉾(あめのぬぼこ)を霧中に振り給ふて、その刃先より滴りたる水滴が、大和島根の大八洲国を造ったと伝へ、また神武天皇建国創業の歴史も、南海より大和へ御東征の水師を進められたのに始まっている。
このやうに我が日本は、太古よりその母なる海に育まれ、海に親しんだ時代は進歩発達し、海に疎い時代は進展が歩みを止めつつ、今日まで成長してきたことを私達は歴史によって知っている。
海は我が国運進展の母体である。海は、太平洋は、我が生命線である。その太平洋いまや波高からんとする時、私達に心から安心を与へてくれるものは、沈黙の我が無敵海軍の厳たる姿である。朝に夕に、波濤を衝いて我等の祖国を護る輝く帝国海軍に、心からなる感謝を捧げようではないか。」
この年代は昭和16年であり、治安維持法及び明治神宮への不敬罪で牧口氏とともに逮捕される2年前のことであり、この時の戸田城聖氏は明確に戦争に賛意を示しており、なんら戦争反対の意志を示していなかったことはここからも明白であると思います。
追記:
今回の記事を書くにあたり、投稿者から日本小学館の当時の数少ない史料を提供して頂きました。本当にありがとうございます。