気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

波田地克利氏の「戒壇=大学」説。





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さて今回は波田地克利氏の「現代における本門戒壇=大学」という考えについてです。



あまりご存知でない方のために言うと、波田地克利氏は元創価新報の記者で、第2次宗創問題の頃に広宣部の対妙観講顕正会対策の資料を作成した中心的な人物と言われています。1991年には学生部でありながら、金褒賞(教団で功労があった者に贈られる賞)を受賞しています。彼は組織内で分派活動をしたということで、2014年に創価学会を除名になっています。


最近では本化ネットワーク以降、法華コモンズに参加もしていまして、創価大学の中野毅氏や菅野博史氏、正信会系の花野充道氏らと関係があります。


さて旧・本化ネットワーク(現・法華コモンズ)時代のパネルディスカッション中で、波田地克利氏は「現代における日蓮戒壇建立とは大学建設である」という自説を展開されています。



「『戒壇流布』とは何か。(中略)それは恐らく『大学』だろうと思うのです。西欧によくあるチャペル付きの大学です。名誉会長は、まずアジアの日本に創価大学をつくりました。次いで北米にアメリ創価大学をロッキー山脈の麓につくりました。さらに、南米、アフリカ、ヨーロッパ、少なくとも五大陸に一つは『大学』をつくろうと思っていたと思います。大学は、国の宝である若い人材を育てる教育機関です。そのときに一番重要なものが戒です。お酒を飲む、飲まない、という次元ではなく、『何のために人生を生きていくのか』という最高の目的を、一人一人の若者の心田に植えつけることです。創価大学における戒の内容、戒体は、創立者の思想になると思います。池田思想を十八、九才から二十二、三才までの間に生命に刻み込む場として、戒壇すなわち大学を、五大陸に一つずつつくっていく。そのような池田思想が、将来何百年かかかって大きく花咲いていう。もちろん、その思想の根底は日蓮大聖人の思想ですけれども、大聖人も結局、大本門寺という比叡山に勝るとも劣らない、世間が公認する宗教施設付き『大学』をつくりたかったのではないでしょうか。」
(本化ネットワークセンター編『本門戒壇論の展開』224ページ、本化ネットワークセンター、2015年)



私は正直なところ、この方が言われていることが日蓮の本意であるとはあまり思えません。
そもそも日蓮や日興が構想していた「本門寺」構想が、現代における「大学」であるとすることに、何の繋がりもありませんし、少なくとも私には説得力を有した説明とも思えません。実際、花野充道氏も「大学=戒壇ということは、日蓮聖人の御書にのっとった本門戒壇建立の議論とは違う」(同225ページ)と述べています。


このことに限らず、創価学会という教団は、日蓮思想を安易に現代的に応用して、教団独自で教義を構成する拙速さがあるように思います。しかもそれでいて、日蓮遺文に基づいた議論ではないことが多いです。
例えば以前指摘しましたが、仏の持つ「主師親の三徳」を「現代における平和・文化・教育」に言い換えたりするんですね。


「平和・文化・教育の団体」

日蓮から離れる宗教的多元主義




このような考え方は、昭和52年の池田会長の一連の発言(いわゆる52年路線)に端を発していまして、未だに波田地氏がそのような考え方を持っているとすれば、思想の陥穽を自覚することの困難さを改めて感じます。