気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

男子部時代のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私は何度となくブログでも書いているように、かつては創価学会のバリバリの活動家でした。


「自身の加担した過去の反省」

「若い方たちへ」

「思考の型を越えて思考すること」


今振り返ると「何がそんなに楽しかったんだろう?」と思うことがあります。
当時のことをよく考えてみると、青年部時代、好きなことをひたすらやって暴れていればよかったというのはあったかと思います(爆)。


だいたい女子部と違って、男子部なんて品がない暴れ馬の戦闘集団に過ぎません(笑)。
平成10年〜13年頃に広宣部やってた頃は、妙観講とか顕正会もかなり危険で随分非常識なことやって暴れてましたけど、創価学会の私たちもまあ危ないことをお互いによくやってました。その意味では狐と狸の化かし合いみたいで、大石寺創価学会もさして変わらなかったんだろうと思います。
妙観講さんや顕正会員を囲んで回答不能に追い込んだり、目の前で法華講さんに離檀届(創価学会では脱講届と呼んでました)を書かせたりして、大石寺系の信徒さんを追い込んだりしてましたっけ。


道行く人を捕まえて選挙頼むなんて朝飯前でしたし(本当です・爆)、友人がいないのに東京12区に勝手に入って飛び込みで選挙の応援やってたくらいです。その後、当時の秋谷会長が「東京に友人がいないなら無理して来るな」と指導があっても、皆で笑い飛ばして暴れていた非常識なメンバーの一人でした(笑)。


若い頃の男たちが、持て余しているエネルギーを蕩尽する、そういう場が創価学会、とりわけ当時の男子部の活動だったように思います。
今の男子部さんにはそんなエネルギーなどないかと思いますが、少なくとも平成10年〜15年くらいまで男子部の活動は相当程度に欲求不満の捌け口みたいなところがありましたね。


創価学会というところは、昔から外に敵を仮想して、その敵と戦うという先鋭的な攻撃性を持ち、それを青年部の持ち味として教勢を拡張してきたようなところがあります。もともとそういうエレメントは「四箇の格言」のように日蓮自身に既に見られるところでして、昭和30年代に大石寺もまた創価学会と一緒になって他宗排撃の思想でアイデンティティを確立してきたみたいなところはあったように思います。


「見えない敵と闘う創価学会


思うに思春期から青年期に至る、精神の自己形成に至る過程で、多くの人が身体と精神の乖離に煩悶する時期、当時の多くの創価学会の男子部は、肥大化する思春期の精神性を活動に蕩尽させ、そのカタルシスで自己の安定を図っていたのかと思います。そしてそれらの暴走を当時の私も含めて彼らは「生命力の強さである」と勘違いしていただけなのかもしれませんね。