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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日蓮教団初期の本尊の奉安形式。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は日蓮在世中の初期教団はどのような本尊が祀られていたのかを考えてみたいと思います。冒頭の画像は現存する日蓮真蹟曼荼羅の中でも最初期のもので、文永8年10月9日書写の通称「楊枝曼荼羅」と呼ばれるものです(現在は京都立本寺蔵)。



さて最初期の教団がどのような本尊を祀っていたのかを示す史料は文応元年の『唱法華題目抄』です。これには真蹟が現存しませんが、最初期に日興写本が残されていまして古来からこの御書に関して偽書説が提示されたことはありません。またこの御書の日興写本の一部が日蓮真蹟『南条兵衛七郎殿御書』の行間に記されていることもわかっています。


「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いて造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし、行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、たへたらん人は一偈・一句をも読み奉る可し助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・竜神・八部等心に随うべし愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」
日蓮『唱法華題目抄』創価学会版御書、12ページ)


まず本尊についてですが、ここでは「法華経一部八巻・題目」を本尊としています。これは神力品の「経巻安置」を根拠としたものなのでしょう。
そして信徒それぞれの財力や信徒の状態に応じて「法華経・題目」の左右に「釈迦仏」「多宝仏」を書いても作っても構わないので左右に置くべきだとされています。またさらに余裕があれば「十方の諸仏」「普賢菩薩」等も書いて作って祀るべきであるとも書かれています。


日蓮自ら、伊豆配流以降、釈迦像を常に随身して題目を唱えていたことは複数の文献からわかっています。とすれば法華経一部もしくは書かれた題目を中心としてその左右に釈迦像等の仏像を安置するように信徒に指示することは、至って自然なことかと思えます。
だからこそ最初期の曼荼羅は中心に題目を表して、それ以上のものが書かれていないということなのでしょう。


これら法華経の題目の周辺に仏像を安置する奉安形式が徐々に曼荼羅の中に納めて書くようになってきたのが文永11年以降の日蓮曼荼羅の形式なのではないかと思います。



「仏像を安置することは本尊の図の如し」