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創価学会の非活メンバーによる語り

日目書写本尊について。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は大石寺3世日目の正中3年書写曼荼羅小泉久遠寺蔵)の相貌について具体的に書いてみたいと思います(冒頭画像参照)。



上の画像を一見するだけで「あれ?少し違うぞ」と言うことは、多くの創価学会員さん、また大石寺法華講さんもおわかり頂けるかと思います。それくらい日目書写本尊は戒壇本尊の相貌とも違いますし、また『御本尊七箇相承』の指示とも相違しています。


具体的に指摘してみましょう。


1、十界の衆生の勧請が抜けている。

これは創価学会授与の日寛書写曼荼羅もそうなのですが、随分と十界の衆生を抜いて書かれています。
具体的には地獄界の「提婆達多」、畜生界の「大龍王」、修羅界の「阿修羅王」、人界の「阿闍世大王」(「転輪聖王」は書かれています)、天界の「大明星天王」、二乗である「舎利弗」と「迦葉」、そして迹化の菩薩である「文殊菩薩」や「普賢菩薩」も書かれていません。


2、「日蓮聖人」と書かれている。

はい。これが最大の特徴かと思いますが、日目書写本尊では「日蓮在御判」ではなく「日蓮聖人」と書かれています。これは『御本尊七箇相承』における「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふこと如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(富要1-32)という指示と相違しています。


3、鬼子母神十羅刹女の位置

画像を見てわかるかと思いますが、この日目書写本尊で「鬼子母神」は第六天魔王の右側、そして「十羅刹女」は「転輪聖王」の左側に書かれています。つまりこれら餓鬼界の二つが外側に配置されているんですね。
山中喜八氏はこの「鬼子母神」と「十羅刹女」の勧請位置について「建治元年11月以降は必ず首題の両側に接近して」書かれるようになることを指摘しています(『大崎学報』102号)。
つまり日目が参考にしている配置は建治元年以前の型式なのであって、戒壇本尊が書かれたとされる弘安期の形式と大きく相違しています。



そもそもこの本尊が書かれたのは正中3年で、日興在世中、亡くなる7年前のことです。しかも脇書で「宰相阿闍梨日郷授与之為守也」と書かれて日郷に与えられたことがわかります。
当時、『御本尊七箇相承』や、また戒壇本尊が本当に実在していたと仮定するなら、このような型式で日目が本尊を書写すること自体、私は普通に考えてもあり得ないことかと思います。