気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

おしきみのこと。





みなさん、いつもありがとうございます。
さて今回は「樒」(しきみ)について考えてみたいと思います。


大石寺さんや創価学会さんでは仏壇にお花を供えることはなく、大抵の場合、このしきみをお供えします。
創価学会の各家庭の仏壇では最近はプラスチック製のおしきみなんかを飾っているところも多くなりました。手入れが楽だからでしょうね。


ところで、樒は実は本来密教において用いられた香木だと言ったら多くの方は驚かれるでしょうか。


そもそもしきみを漢字で書くと「樒」と書きますが、この由来は密教の修行や供養に用いられたことから来ています。


この樒は空海が青蓮華の代わりとして修行に用いたとされています。
例えば真言結縁灌頂の儀式というものがあります。これは目隠しをされた僧侶が別の僧侶に手を引かれて、指で樒の葉をつまんで敷かれた曼荼羅の上に落とすというものです。ここで樒の葉が落ちたところの絵の仏に結縁する儀式が行われたりします。


ですから灌頂の儀式とか結縁というものがすでに密教の影響下にあり、大石寺の伝統的な教義ではこれを採用しているということです。
また他宗では例えば浄土真宗などでは樒と花を合わせてお供えしたりします。大石寺の教義では各家庭の仏壇に樒だけをお供えするかたちをとっています。
とりわけ樒を仏前や儀式の場面で教義的に重要視している宗派は真言宗系各派と日蓮正宗であると思います。


また法華経方便品には「木櫁」という語が見られます。ここから法華経において仏前荘厳の儀式に「櫁」すなわち「樒」を用いることになったのだろうとも思いますが、これは法華経梵本では"devadaru"という語で、本来の意味は「松の種の木」です。つまり「マツ科の香木などを用いて仏塔を作って供養する」というのが法華経方便品の本来の意味するものなのですが、それが時代を経るうちに変化し、漢訳される段階で「木櫁」と変わったのだろうと推察されます。



参考文献:
池田伊佐夫「仏事におけるシキミの役割に関する考察」中央学術研究所紀要第36号、2007年。