気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

母の言葉を。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて最近、聖教新聞を見ると、未来部育成のことがよく書かれています。
少年少女部、また中等部、高等部員のメンバーたちを「いかに後継の人材に育てるか」に主眼が置かれていまして、多くの結論は「親の信念の生き方を伝えよう」とか「自身の姿と言葉で信心を伝えよう」等です。



私は母親から創価学会の信仰を教わりましたが、母は形式にこだわらない人でした。
私の批判精神は、学生時代や広宣部時代に形成されたものかと思いますが、その前提として母の影響があったことは疑い得ないように思います。



今は亡き母は、かつて創価学会の活動家でしたが、形式や慣例に全くこだわらない人でした。
母がよく言っていたことを記憶の限りに書いてみようかと思います。






「会合に参加するのが信心ではないの。例えば家に家庭訪問して、玄関先や部屋でいろんな話をする。そっちの方がずっと大切。」


「会合に行くか行かないかは自分で決めること。他人に強制されて参加したって面白くも何ともないもの。」


「連絡が来たから参加しようと言うんじゃなくて、自分で行きたいなら自分から連絡するでしょ。そう思えない人のところなんて行かなくていい。」


「みんなで楽しく過ごそう。仲良くしよう。ご飯を食べに行ってもいいし、何をしたって構わない。でも楽しくないところなんて誰も参加しようなんて思わないよ。」


「本当に信頼できる人に指導を受けなさい。本当に何でも話せて自分の苦労をわかってくれる人にしか本当のことなんて話しちゃいけない。」


「選挙は応援したいと思えることが大事。お母さんはその人を応援したいと思ったからこそ頑張って応援してきた。応援なんてしたくないと思った候補には何もしてないよ。」


「新聞とか書籍を『読んでもらおう』じゃなくて、自分がまず読むんだよ。読んで何かを感じたら、それを素直に伝えればよいだけのこと。それが真実なら、相手は新聞を読みたいと言ってくるはずでしょ。」


「役職を頂いたのなら、自分の自由を頂けたと思って楽しくやること。上から落ちてくるものばかりを消化してるだけだと、歓喜も何もなくなってくるよ。」


「悪い幹部もたくさんいる。悪いやつは関わっちゃいけない。適当に話を合わせておきなさい。あとは向こうが勝手にいなくなるだけだから。」


創価学会の組織が大事なんじゃないの。こうして母さんとお前とで話したり、誰かと遊びに行ったり、そこで楽しく暮らす中に本当の創価学会があると母さんはずっと思ってやってきたよ。」


「勉強しなさい。母さんができなかった分、勉強したらいい。自分が思うことを思うままにやればいい。誰に遠慮する必要があるのさ。」


「苦労をかけてしまうけど、母さんにはお前が一人いればいい。たくさんいろんな幹部と会ってきたけど、この歳になってわかるのはお前が一人いてくれれば母さんはそれだけで幸せだよ。」


「一緒に野球を観に行こうよ。楽しいよ。会合に行きたくなかったら行かなくてもいいんだよ。」


「面白くないと思った会合はやっぱり面白くないし、面白くないと思った幹部がいたら、その人はやっぱりそういう人なんだよ。」






母は、あくまで創価学会の組織教義の桎梏から逃れることは最後までできなかったとは思います。けれどどこまでも自由に思索して自由に行動することを、私は母から学んだ気がします。選挙の応援をしなかった時も、会合に行きたくないと言った時も、非活を選択した時も、母から否定されたことは一度もありません。