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創価学会の非活メンバーによる語り

血脈抄の相伝について。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて大石寺18世(17世)日精の『富士門家中見聞』上の日興伝の項には次のような一文があります。



「正和元年十月十三日に両巻の血脈抄を以て日尊に相伝し給ふ、此ノ書の相承に判摂名字の相承、形名種脱の相承あり、日目、日代、日順、日尊の外漫には相伝し給はざる秘法なり。」
(日精『富士門家中見聞』富士宗学要集5-170〜171ページ)


この記述が正しいと仮定すると、正和元年(1312年)に日興は血脈抄(本因妙抄と百六箇抄のこと)を用いて、京都要法寺の開山である日尊に相伝をしたことになります。
そしてこの相伝が伝えられたのは


日目(大石寺3世)
日代(日興新六筆頭、西山本門寺開山)
日順(重須談所2代学頭)
日尊(京都要法寺開山)


の4人だったということになります。
ですから、本因妙抄や百六箇抄等の相伝書も別に大石寺だけに伝えられたものではないということです。


そもそも"日蓮正宗"という宗派はかつて存在していませんでした。大石寺は本来興門流八本山の一つという大本山の寺格でしかなく、"日蓮正宗"という名称が決定したのは明治45年(1912年)6月7日のことです。それ以前に歴史には「日蓮正宗」という宗派は存在していません。


日蓮宗興門派としての大石寺


つまり大石寺相伝書や教義と呼ばれるものは、歴史的にも興門流、また法華宗本門流等の諸山から様々に影響を受けて、それらを摂取して形成されてきたものに過ぎないのかと思います。