いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は『日興遺誡置文』から少し考えてみたいと思います。
私はこの二十六箇条の置文が日興の著作だとは考えていません。基本的にこれらは北山本門寺等の日興門流に伝わってきた寺内文書であるという理解です。
「日興遺誡置文のこと」
まあ、でもこの遺誡を基本指針として興門流は布教活動をしてきたことは理解できます。
ちょっといくつか引用してみましょう。
「学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事」
「論議講説等を好み自余を交ゆ可からざること」
「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事。」
「弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を致す可き事。」
私には布教活動に挺身する会員さんを上がそんなに大事にしているようには思えません。あと素朴な疑問なんですが、これらの遺誡は出家や在家入道へのものなのに、どうして大石寺は布教活動も信徒任せなんでしょうね。なんで大石寺は僧侶が率先して布教しないんでしょうか。
「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事。」
私は学生時代に素晴らしい仲間たちや尊敬できる先生方と多く知り合うことができました。その方にいろんなことを教わるのが楽しかったですし、学びたいと思ったものです。
「巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫す可き事。」
創価学会もさして議論や講説を得意とする人を大して大切に思っていないと思います。
私は別段、日興の『遺誡置文』が日興の真作であるとは考えていません。ただ日興門流で出家者や在家入道たちへの戒めとしてこの文書が用いられてきたということは理解できます。