気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

塚本素山のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は池田大作氏と塚本素山氏との関係について、少し書いてみたいと思います。


池田大作氏が創価学会会長の頃の昭和36年創価学会に顧問制度が創設され、その初代顧問に塚本素山氏が就任したことは、現在の創価学会ではほとんどタブーになっていまして、そのことを現在のほとんどの活動家さんは知りません。


戦前からの法華講員だった塚本素山(本名は塚本清)氏は実業家でして、塚本総業の創立者です。日本の戦後の鉄材の総元締めのような立場にありました。
彼は昭和36年、平沢益吉(法華講連合会会長)、戸田喬久(三菱銀行員)とともに創価学会の初代顧問に就任しています。



塚本素山氏は政財界とのパイプが強く、主な知り合いに辰巳栄一、児玉誉士夫渡辺恒雄などがいます。


例えば読売新聞の代表取締役渡辺恒雄氏は回顧録で次のように述べています。



池田大作さんとは、お互いに30歳代そこそこのときに会っているんだ。あれは1963年の東京都知事選挙に、自民党から東龍太郎が再出馬して、創価学会の60万票の行方が鍵を握っていたときだ。自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテル・ニュージャパンで二者会談が行われたんだ。(中略)
この後、池田大作さんが『創価学会の60万票を自民党に入れる』という一筆を書いてくれる。それを僕がもらいに行き、大野伴睦に届けるなんてことがあったんだ。大野伴睦はそれを見て飛び上がって喜んだよ。
(中略)

これで都知事選に自民党は大勝する。このころから僕は保革連立じゃないけれども、まず学会勢力を自民とくっつければ、相当な安定政権ができるなと思い始めてたんだな。」
渡辺恒雄伊藤隆御厨貴飯尾潤渡辺恒雄回顧録』279〜280ページ、中央公論新社、2000年)


塚本素山氏は政財界に顔がきく実業家でした。彼は千葉県の佐倉市の出身で、千葉県内で名の知れた人物でした。例えば千葉駅の「千葉そごう」は正確に言えば塚本ビルのテナントですし、佐倉市には塚本素山氏が作った日本刀美術館があります。


昭和44年8月に、藤原弘達氏の『創価学会を斬る』が出版されそうになった時に田中角栄小佐野賢治に8000万円を拠出して出版をやめさせる交渉をさせています。



この言論出版妨害事件(いわゆる言論問題)以降、塚本素山氏は創価学会の正史から消えます。そもそも創価学会に「顧問」制度があったことさえ記憶していない人がほとんどなのではないでしょうか。
過去に存在した史実から目を背け、都合の悪いことを語ろうとしない、大石寺系教団としての創価学会の姿勢が良くわかる好例かと思います。