いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は池田大作氏と塚本素山氏との関係について、少し書いてみたいと思います。
池田大作氏が創価学会会長の頃の昭和36年、創価学会に顧問制度が創設され、その初代顧問に塚本素山氏が就任したことは、現在の創価学会ではほとんどタブーになっていまして、そのことを現在のほとんどの活動家さんは知りません。
「池田大作さんとは、お互いに30歳代そこそこのときに会っているんだ。あれは1963年の東京都知事選挙に、自民党から東龍太郎が再出馬して、創価学会の60万票の行方が鍵を握っていたときだ。自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦が池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテル・ニュージャパンで二者会談が行われたんだ。(中略)
この後、池田大作さんが『創価学会の60万票を自民党に入れる』という一筆を書いてくれる。それを僕がもらいに行き、大野伴睦に届けるなんてことがあったんだ。大野伴睦はそれを見て飛び上がって喜んだよ。(中略)
これで都知事選に自民党は大勝する。このころから僕は保革連立じゃないけれども、まず学会勢力を自民とくっつければ、相当な安定政権ができるなと思い始めてたんだな。」
(渡辺恒雄/伊藤隆・御厨貴・飯尾潤『渡辺恒雄回顧録』279〜280ページ、中央公論新社、2000年)
(渡辺恒雄/伊藤隆・御厨貴・飯尾潤『渡辺恒雄回顧録』279〜280ページ、中央公論新社、2000年)