気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

いろいろ考えて。





いつもみなさん、ありがとうございます。



私はブログを書くにあたり、単に集めた資料からわかることを客観的に書き、本に書いてあること、他者から聞いて裏が取れていること、ネットで集められる情報等を総合して、書いているに過ぎません。


ですから、こんなブログを読まなくても、ネットでちょっと調べれば、わかることも多いでしょう。先日のチャウシェスク氏やノリエガ氏と池田大作氏との交友関係なんて、ネットで調べればいくらでも出てくると思います。以前に聖教新聞第三文明等できちんと報道されていたことですし。


どういうわけだか、皆から無視されて同然の私のような者のブログが、多くの方に読まれ、また大石寺の一部の信徒さんから非難されたり、創価学会の多くの会員さんに注目されたりしています。


みなさんに本当に感謝をしているのですが、私は本当に大したことを書いている自覚はありません。全部文献に書いてあることをなるべくわかりやすく説明し、自分自身がわかるようになるべく平易に書いているだけです。


自分が思うことは何を思っても自由です。
ただそれが史実や史料、客観的な文献と照らし合わせて、果たして妥当性があるのかを私なりに考えて検証しているだけです。たまにハメを外して遊んでしまう時もありますが、まあ私個人の趣味的なブログなのだから別に構わないかなぁと。


このブログを開設したのは、2016年の9月頃だったかと記憶しています。いろいろ書いてきて、書く中で少しずつ自分の考えも整理されてきたように思います。私の考え方も2016年の頃から少しずつ変容してきています。


「浅きを去って深きにつくは丈夫の心なり」なんて言葉を昔に学びましたけど、自分の以前の思想が浅薄なものであるなら、それを思い切って捨てて、より思索を深めて客観性や妥当性のあると思える思想をとることは別に問題ないかと思うんですね。


それならいろいろ検証をし、その上で普遍妥当性のない考えなら、それを捨てて新しい立場に立つことはむしろ正しいことかと思います。
問題は、宗教が常にドクサとなり、固定化された価値観として思想的な桎梏となってしまうということなんですね。