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創価学会の非活メンバーによる語り

9世日有から日乗、日底、日鎮への相承。




いつもみなさん、ありがとうございます。
それにしても、大石寺9世日有の後の相承については、調べれば調べるほど不自然なことばかり出てきます。



大石寺9世日有から10世日乗に付嘱があったのが応仁元年(1467年)のことです。
そのわずか3年後の文明2年(1470年)に日乗は11世日底に付嘱をします。


ところが、後継であるはずの11世日底が文明4年4月7日(1472年5月14日)に先に亡くなります。
そして、その後を追うように先代10世日乗も、その7ヶ月後、文明4年11月20日(1472年12月20日)に亡くなります。



つまり要約すると以下のようになります。


大石寺在位期間
10世日乗:1467〜1470(1472年11月没)
11世日底:1470〜1472(1472年5月没)


ともに2年、3年というわずかの期間しか法主として登座することなく、数年後に亡くなっているんですね。


で、結果として9世の日有が再登座することになります。文明4年(1472年)、日有が70歳の頃です。


そして最終的に日有が相乗したのは12世の日鎮でして、文明14年(1482年)に彼はわずか13歳で法主になることになります。
文明14年、日有は80歳です。80歳の日有が後継と定めたのがなんと13歳の少年です。


つまり日有は日乗、日底、日鎮の3人に付嘱をしたことになります。
先代の日乗、日底が早くに亡くなってしまい、その後継として日有は皇室出身とされる13歳の少年を後継として託すしかなかったということになります。


その後、12世日鎮はなんと9歳の良王(日院)に後継を託すことになります。
このことは先日のブログに書きました。


大石寺13世・日院のこと」



日院はそもそも相承を受けた後、少なくとも3年は大石寺に来てないのであって、法主の空白期間が大石寺に存在したことになります。
加えて、13歳や9歳の若輩でも信心があれば引き継ぐことができるという法水血脈とは一体何なのか、多くの方が疑惑を抱くことは極めて自然なことかと思います。