気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

教義の再生産の否定。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて私は個々人の信仰の自由を尊重したいと思いますが、一部の曖昧な大石寺系教義を容認するような議論については何度となく批判しています。
それはなぜかと言えば、それを認めてしまえば、創価学会のような教団の存在を容認することになろうかと思うからです。


いずれ少子高齢化の波にさらわれて、創価学会にせよ大石寺にせよ衰退していくことは必至です。教団の日本国内における信徒数は減ることはあっても増えることはもうありません。


が、日寛の「依義判文」の思想に無自覚に固執し、自分が「こう確信する」という曖昧な体験から新たな教団や立場が現れるなら、それは所詮、第2・第3の創価学会であり、単なる分派に過ぎないと思うんですね。


その結果、それらは考えない信仰者を無自覚に増産し、教団指導者や教団幹部につくことでしか教えを知ることができない教義を再生産することにしかならないでしょう。


それなら自身の信仰の立場を一度カッコにくくってしまえばよいのかと思います。
つまり自身が正しい信仰をしているという前提を一度外してしまえばよいだけなのかと思いますが、それがなかなか大石寺系教団信徒さんはできないのでしょうね。


もちろん信仰は自由ですが、大石寺系教義を事実上曖昧にして容認するような議論は、単なる議論の混同であり、否定されるべきだと私は考えています。