気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

広宣部の思想。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて私はもともと、創価学会の活動家でした。今は退会を待つだけのしがない非活メンバーに成り下がりましたが(笑)、お陰様で毎日楽しく暮らしております。
財務も新聞営業も布教数のノルマもない生活というのは、精神衛生上まことによろしいものですね。


ところで、私は青年部時代に創価班の広宣部、牙城会の言論企画局(一部方面では言論企画部とも言います)に所属して他宗派との対論を学んだりしていました。
その頃のことは記事にして書いたこともあります。


「広宣部と言論企画部」


この対論の資料等を多く製作したのは波田地克利氏と言われています。現在同氏は創価学会を除名されて、法華コモンズ等で自由に活躍されているようです。


広宣部では対論の方法を具体的に学び、例えば模擬対論のようなこともやっていました。
広宣部の会合で、トーナメント戦で一方が創価学会役、もう一方が顕正会役、また妙観講役になって、議論をするんですね。
初めて参加した時に衝撃を受けたのは、創価学会の活動家さんなのに、法華講さんや顕正会の対論の仕方をそっくり真似して、議論をのらりくらりとすり替えられる人など普通にいた点です。
まるで現場の本物の顕正会さんや法華講さんのように論戦を挑んできて、それらをどう対論で打ち破るかということを徹底的に学んできました。今にしてみれば変なことしてたなぁと思うんですけどね。


波田地克利氏由来と考えられる、当時の広宣部の思想は文献を根本として、批判するという姿勢です。
そもそも文証と理証と現証の三証具備は日蓮の宗教批判の根本であり、この三つが揃うことが基本です。


私はこの広宣部の勉強会から多大な影響を受けたものですが、波田地克利氏由来の考えと思われる部分で私が共感できない考えが主に二つあります。


1、大石寺26世堅樹院日寛の絶対視
2、池田大作氏を金輪聖王とする思想


つまり大石寺から別れて以降の創価学会は、日寛の教義の在家主義的解釈、そして池田氏の権威化を進めたということかと思います。
まあ言ってしまえば、昭和52年路線の事実上の継承と復活なわけで、大石寺側はこの点を批判の槍玉にあげています。


第2次宗創問題以降、創価学会の教義は実質的に昭和52年路線の焼き直しという方向に進みました。現在は日寛の部分肯定・部分否定というところでお茶を濁しているようですが、結果、大石寺と同様に教義について思索できない信徒を大量生産しているのが現状なのでしょうね。