気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

興風談所について。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は「興風談所」についてです。



ちょうど創価学会の本尊模刻や昭和52年路線の頃に、これに異を唱える「正信覚醒運動」が起こりました。これが後の正信会の起源になります。ところが池田会長辞任の後も正信会系の人たちは創価学会批判を続けておりました。


加えて昭和54年、大石寺66世細井日達氏が亡くなり、阿部日顕氏が法主として登座することになりますが、この時相承がなかったとして一部僧侶が対決姿勢を強め、急進派として執行部と対立する事態となります。
阿部日顕氏は当時は創価学会との対立を回避しておきたい思惑もあり、結果として彼らは宗務院から処分され擯斥されることとなります。



ところで、正信会というと創価学会の人はまるで悪の権化のように負のイメージを持たれる方も多いようですが、実はこの正信会有志で結成された「興風談所」は、出版する書籍の質の高さから他宗派からも高く評価されています。
とりわけ興風談所から出版された『日興上人全集』や『日興上人御本尊集』(冒頭画像参照)など多く図版を取り入れ、緻密な実地調査の上に編集されており、日蓮宗各派からも高く評価されています。彼らはきちんと日蓮宗各派の寺に赴き、積極的に改定作業も行なっています。


また日蓮遺文のデータベース化にも積極的に取り組み、「桐」にプラグイン化した「御書システム」を研究者向けに無償でダウンロード配布まで行っており、有償ではCD-R版の配布まで行っています。


例えば彼らの研究の一例を挙げてみましょう。


日蓮遺文の『竜泉寺申状』は前半が日蓮の筆跡で書かれ、後半が他筆によって書かれていることが知られています。今までは大石寺59世堀日亨氏の見解で後半を日興筆と推定していました。ところが興風談所の研究員である菅原関道氏の詳細な研究の結果、後半は日興筆ではなく、正しく富木常忍の筆であることが確認されました(「中山法華経寺聖教に見える異筆文書の考察」『興風』16号所収、2004年)。



もちろん正信会と言っても決して一枚岩ではなく、その中にはさまざまな考え方を持つ方が混在しているので、安易な一元化は禁物ですが、少なくとも「興風談所」の出版物は学術的に至極真っ当で正攻法な研究姿勢に貫徹されており、また研究員のメンバーも日蓮遺文の解読の専門知識を持った研究者がきちんと揃っていることは認めるべき事実であるかと考えています。