気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

父との思い出。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて創価学会大石寺法華講さん、顕正会さんなどは、個人の宗教的な体験や感得を根拠にして、文献的な論拠を全く受け付けない方がいます。


私としてはこのような文献的な論拠を受け付けず、ひたすらに個人の宗教的な体験や感得ばかりを根拠として、創価学会大石寺を批判する方を批判しています。


「何が間違っていたのか。」


実は元々、私も活動家時代、そういうところがありました。どんなに教義的に矛盾があっても、最後に信じられるのは自身の確信であって、御本尊と池田名誉会長をひたすら信ずる心があれば良いのだと考えていた時期がありました。


それを根底から否定して打ち砕いたのは、実は私の父でした。
かつて大変な活動家で、タテ線時代の幹部でもあった私の父は、私のそんな宗教的な前提をものの見事に見抜いていました。


「もしも体験や確信、感得だけで自分の信仰の正しさを信ずるなら、自分だけならそれでも構わないけれど、結局文証に依らない信仰になってしまう。現証の前に文証を持たない信仰を日蓮大聖人は否定された。お前はそれでいくのか。現証だけで正統性を主張するなら、結局超能力やら超常の力を持つものが絶対的に正しくなり、それを否定するために文証は無効になる。」


当時、若く血気盛んだった私は、父にものの見事に論破されてしまったものです。
父に言われた私は、もしかしたら自分の立場を貫徹して、ひたすら自身の宗教的な体験やら感得に依拠することもできたのかもしれません。しかし私はそこで少し立ち止まりました。当時まだ私は広宣部にも入る前のことで、なんら日蓮遺文や大石寺の教義について知りませんでした。創価学会が提示する教義についてなんらかの知識はありましたが、所詮その程度で、御書をまともにも読んではいなかったのです。


私は少し勉強して、いろいろ知ってから、父の言うことを考え直してもよいと思いました。
父は生前、最後まで日寛由来の大石寺の教義から離れることはできなかったように思いますが、少なくとも父は教学的には誠実な人でした。教学的な裏付けを持たない単なる体験だけで仏教を語ることの危険性を父はよく知りあげていたのでしょう。


父は亡くなるまで、その立場を変えることはありませんでした。その点、全てを父に話せなかったという自責の念がないと言えば嘘になりますが、父は教学を一から学び直した私を一定程度理解し、受け入れてくれました。


「私は年をとった。もしかしたらお前の方が正しいのかもしれない。けれど大事なことは御書にどう説かれているか、どのような根拠があるかどうかだ。文証を持たない信仰になってはいけない。」


私は父に大要そのように言われてきました。



今の私の立場を父が生きていたら何というか、私にはよくわかりません。
けれど私の若かった頃と変わって、後年は私との立場の違いも父は受け入れてくれました。
父は判断に迷う時は評価を保留しました。決して安直な判断をしない人でした。自分がわからないことについて、評価を保留し、決して感情的に反発することをしませんでした。


かつて父は都内で、とりわけ新宿で昭和30年代に活躍した青年部幹部でした。父を慕い、後年も父に指導を受けにわざわざやってきた人があったことをよく知っています。石田幸四郎さんも父を同志として尊敬し、ともに活動してきました。


今の私は父の教義上の誤りもよくわかるつもりです。しかし人の理解する速度や他者を受け入れる時間については個人差があることを父はよく知っていました。だからこそ安直な結論を避けました。
私が文献的な根拠を重視し、感得や体験だけで結論を押し付けるような議論を避けるのは、多分に父の影響が強いのだと思います。しかし父のお陰で私は今の自分の歩む道を信じることができているのかもしれません。






父さん、ありがとう。
父さんに伝えられなかったこと、父さんが考えようとして考えられなかったことを求めて生きていきたいです。