いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は法華講さんのことです。
現在の状況はよくわかりませんが、少なくとも平成15年前後の当時、彼らには自前で活動家を養成する、そういう教育力が組織に存在しませんでした。寺はどちらかというと本山への絶対の奉公とか忠誠を謳うだけで、信徒と関わってどうのこうのいろいろ二人三脚で教えてくれるご僧侶さんなんていませんでしたし。今でも実態はさして変わらないように思います。
すでに宗門から破門されて関係のない団体になったのなら、別の話をすればいいのに、どういうわけだか元創価学会の法華講メンバーさんは、いつまで経っても創価学会の問題点や過去の52年路線をあーでもないこーでもないと批判するんですね。暇さえあれば創価学会のことしか口にしないんですよ(笑)。
今でもそんな感じがします。ひたすら池田名誉会長とか創価学会の非難中傷ばかりしています。いや、別に批判してもいいんですけど、もっと他に語ることがあるはずなのに、未だに52年路線のこととかばっかり言ってるんです。
彼らの発言をまとめるとこんな感じです。
「大石寺こそ正しい」
「創価学会は謗法だ」
「池田大作は謗法だ」
「創価学会は堕地獄だ」
「大石寺で懺悔滅罪を」
これが彼らの語ること全てです(笑)。
他に何か語ることはないんですかね。
というか内輪の法華講さんの間でもそんなことばかり話したりしています。
つまりここから推察できるのは、彼らの布教の原動力が単なる前所属教団への強烈な怨恨、ルサンチマンから起こっているものだということです。
まあ、確かに創価学会員さんにもえんえんと大石寺への怨恨とか恨み節ばかり呟く人もいますので、どっちもどっちという感じもしますけど(笑)、私の会った人たちの印象としては、大石寺の法華講さんは創価へのルサンチマンが強く、怨恨を放出し続ける方が多かったように思います(というかほとんどそんな方ばかりでした)。
まあ所詮、創価学会から離れられない法華講という構図が私などは感じられてならないんですね。創価学会を離れながら創価学会を非難中傷することでしかアイデンティティを保持できないとすれば、それは単なる思いの裏返しでしかないということに気づいた方がよいだろうと思います。