いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は念仏思想についてです。
創価学会、大石寺系教団の人たちは失礼な話ですが、念仏を非常に嫌います。ほとんど生理的な嫌悪感に近いものさえあります。教団の提示する教義にすっかり染まってしまい、「浄土宗は生きる気力を奪う」とか「自殺する人が多い」とか昔の『折伏教典』のような表現で罵ることもあるほどです。
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つまり法華経を根本にしている故に、源信の称名念仏思想は肯定されているということです。日蓮の念仏批判のポイントは「法華経否定」ということであり、だからこそ法華経を否定した法然を批判しますが、法華経を認める源信は日蓮の批判対象となっていません。
「称名念仏としての唱題行」
「法華を依拠とする融通念仏」
教団の教義に染まるとなかなか浄土思想とか念仏とかを肯定的に見られなくなることは元活動家としてわからなくはありませんが、そもそも法華経に阿弥陀仏は説かれていますし、平安時代に比叡山で題目とともに念仏も唱えられていたことも事実です。そして日蓮は比叡山に入山する際に源信の流れを汲む恵心流の俊範に師事しているんですね。
日蓮門流を名乗るものが、法然の法華経否定ゆえに浄土宗を否定するのはまだ理解できますが、そもそも阿弥陀仏は法華経に説かれており、念仏思想も比叡山に存在していたのですから、十把一絡げに念仏や阿弥陀仏というだけで拒否感や嫌悪感を示すのは乱暴な議論かと思います。