気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

念仏思想について。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は念仏思想についてです。



創価学会大石寺系教団の人たちは失礼な話ですが、念仏を非常に嫌います。ほとんど生理的な嫌悪感に近いものさえあります。教団の提示する教義にすっかり染まってしまい、「浄土宗は生きる気力を奪う」とか「自殺する人が多い」とか昔の『折伏教典』のような表現で罵ることもあるほどです。



ところで、このブログでも指摘していますが、法華経にはちゃんと阿弥陀仏が出てきます。具体的には法華経の化城喩品第7、薬王菩薩本事品第23です。


法華経阿弥陀仏って」


薬王品では法華経を信じる信徒の功徳は「阿弥陀仏の安楽世界に往生すること」とされています。ですから法華経を信じれば阿弥陀仏のいる極楽浄土に往生できることが法華経に説かれているんですね。



また日本天台宗比叡山では常行堂があり、この本尊は阿弥陀仏です。
比叡山恵心流の開祖である恵心僧都源信は、称名念仏と観想念仏を立てた人です。平安時代はこの念仏思想が貴族に流行して、華やかな極楽浄土や阿弥陀を表現する建築が多く建てられたことは有名でしょう。
ですから法華経を根本にしていた比叡山でもきちんと念仏は唱えられており、日蓮も『守護国家論』で源信の念仏思想については認めています。


日本国の源信僧都は亦叡山第十八代の座主・慈慧大師の御弟子なり多くの書を造れることは皆法華を拡めんが為なり」
(『守護国家論創価学会版御書49ページ)


爾前最上の念仏を以て法華最下の功徳に対して人をして法華経に入らしめんが為に造る所の書なり、故に往生要集の後に一乗要決を造つて自身の内証を述ぶる時・法華経を以て本意と為すなり。」
(同50ページ)


つまり法華経を根本にしている故に、源信称名念仏思想は肯定されているということです。日蓮の念仏批判のポイントは「法華経否定」ということであり、だからこそ法華経を否定した法然を批判しますが、法華経を認める源信日蓮の批判対象となっていません。



称名念仏としての唱題行」

「法華を依拠とする融通念仏」



教団の教義に染まるとなかなか浄土思想とか念仏とかを肯定的に見られなくなることは元活動家としてわからなくはありませんが、そもそも法華経阿弥陀仏は説かれていますし、平安時代比叡山で題目とともに念仏も唱えられていたことも事実です。そして日蓮比叡山に入山する際に源信の流れを汲む恵心流の俊範に師事しているんですね。



日蓮門流を名乗るものが、法然法華経否定ゆえに浄土宗を否定するのはまだ理解できますが、そもそも阿弥陀仏法華経に説かれており、念仏思想も比叡山に存在していたのですから、十把一絡げに念仏や阿弥陀仏というだけで拒否感や嫌悪感を示すのは乱暴な議論かと思います。