気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

わからないことは語らない。









いつもありがとうございます。
ところで、私は「わからないこと」「語り得ないこと」については基本「語らない」主義です。



例えば死後の生命について語る創価学会員や法華講員さんがいますが、私は死んだ経験もないし(笑)、そんな記憶もありませんから、それについては語らないことにしています。



例えば大石寺系の信徒さんは「病気は過去世の業」とまことしやかに語る方がいます。「喘息は業病」だとか「脳梗塞は正法誹謗の罪」とかです。
それらを語ることは彼らの宗教的な確信なのかもしれませんが、なんら確証があるものではありませんし、本来そうであるのかはわからないことです。そんなわけで私は語らないことにしています。



宗教の問題は個人的なことであって、わからないことは語らないという基準を守るべきであると私などは考えています。
そうでなければ、なんら根拠のないことを他人に一方的な教義として押し付けることになってしまうでしょう。


宗教的な正義や確信を持つことを私は否定しないのですが、それを強要することは単なる押し売りでしかありません。例えばお守りを買ったらご利益があったので「お前も買えばいい」と言っているに過ぎません。別にお守りからその人が得たご利益を否定はしませんけど、それを他人に強要するなら、それは根拠のない欺瞞の押し売りに過ぎなくなるわけです。



宗教的な確信を語ることは自由ですし、何をどう感じるかも自由です。しかしながらそれらは他者もまた何をどう考えるかは自由であり、それらを認めない限り、偽善の押し売りになることは回避し得ないと思います。
「私はこういう功徳を得たから」「あなたもそう思うべき」という議論には思想上の陥穽があり、他者はそう思わない自由もあるということであって、そのことを自覚できない創価学会員さんや法華講員さんも少なくないということです。