気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

池田と日寛。





いつもみなさん、ありがとうございます。



そもそも少しでも文献を読めば、池田大作氏の日蓮理解が大石寺26世・日寛由来のものであって、それらには限界があるということはすぐにでも理解できるものです。


「池田哲学とは何か」


例えば池田氏が『法華経智慧』その他で『御義口伝』を重視するのも日寛教学の一環であって、それらは日蓮本人の真蹟に依拠しているとは厳密に言えないわけです。


池田門下とか池田氏の弟子を自称する信徒の方はこのことを客観的に見ることができない方が多いと思います。
というか、池田氏を次代の思想として再評価し、後世に思想として遺していくなら、このことを無視できないはずです。
つまり池田氏が単なる日寛の再解釈者に過ぎないとすれば、彼の評価は日寛以下になり、所詮日寛をきちんと読めば良いということになります。つまり池田氏は日寛を現代において再評価した人物に過ぎないということです。



もし池田氏を日寛以上の人物として評価するなら、池田思想が日寛思想を越えるエレメントを著作中から見出す必要があるでしょう。
それが「人間革命」思想であるとするなら、その「人間革命」思想とは何か、きちんと説明する必要があるように私は思います。
その根拠が日寛を越えるものではないとすれば、池田氏は日寛を越える存在ではないでしょうし、創価学会員は池田思想を学ぶ前提として何よりも日寛を学ばなければならないということになろうかと思います。