気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

家庭訪問。









いつもみなさん、ありがとうございます。



さて最近、創価学会は「励まし週間」と称して会合の数を減らして幹部が率先して家庭訪問に出向くということを推進しているみたいですね。聖教新聞にも原田会長やら長谷川理事長やらが会員の家を訪問する写真が掲載されています。



彼ら幹部陣は、家庭訪問の推進をしているように見えます。
けれど元活動家の私から言わせたら、家庭訪問ってのはそんな生易しいものではありません。


私が青年部の頃、部員さんの家庭訪問をする時は顔も出してくれない、怒鳴られる、水をかけられる、罵声を浴びせられるなんてのは普通でした。そういう目に会う度に使命感を感じて勇んで家庭訪問をしていたものですから、宗教というものは変なものです(笑)。



そういう中で、少しずつ家族や本人と関係を築いて仲良くなっていくというのはとても大変で根気のいる作業です。
本人を騙そうとすれば、向こうはすぐに気づくものです。そうなれば二度と会ってなどくれません。


私は部長時代、みんなで楽しいことをしたいといつも考えていました。みんなでカラオケに行ったり、映画を見たり、食事に行ったり、ソフトボールをやったり、いろんなことをしました。
私は若い頃から「宗教が単に宗教活動をするだけの組織だったら、そんなもの要らない」と思っていました。それは多分に楽しく活動をしていた母の影響が強かったのだろうと思います。


母も婦人部で昔はよく家庭訪問をしていました。私と母が活動家時代、もっとも取り組んだ学会活動はまさに「家庭訪問」です。
おみやげやお菓子やいろんなものを持って家庭訪問したものです。「皆でご飯食べよう」とか「寒いからこれ食べてね」とか肉まんをあげたりしましたっけ。家庭訪問ってもっと心と心が通うように必死になってやってたものです。


みんなで焼肉パーティやろうと決まると、部員さんで食材を持ち込んでわんさか食べました。楽しかったですね。信心の話は一切抜き。当時の母は豆から挽いたコーヒーを淹れるのが上手でとても美味しかった。部員さんからも評判が良かったものです。


人は楽しいところにしか出向こうとはしません。自ら利用されるために行く人などいないはずです。
私が家庭訪問を好んでやっていたのはたくさんの仲間を作って皆で遊ぶためです(笑)。組織に数字をあげるためでもありませんでした。
活動家だった当時から、成果というのは自然に出るもので無理に出すものではないと考えていましたし。


現在の創価学会の組織は、上から打ち出される方針をどう処理するか、高齢化して目減りする活動家の中で、どうやって数字をクリアするかで、なすりつけあいのような状況にさえなってきています。
現場で工夫する智慧も体力もなくなってきているんですね。だから無理矢理に新聞の営業や贈呈をやってお金を使ってしまったり、強引にセミナーに友人を連れ出してドン引きされる事例などが増えているような気がします。
じゃあ、法華講さんはどうかというと、ほとんどの活動家メンバーが元創価学会員さんですから、口を開けば創価学会の悪口ばかり。汚い言葉ばかり使うので思わず耳を塞ぎたくなるようなことばかりです。



家庭訪問というのはその場の一回だけで終わるものではありません。根気のいる作業ですし、地道で時間と労力を必要とします。
さらに言えば、私は若い人が全然いなくなってしまった現在の創価学会になんの魅力も感じていません。現在の地区組織に参加したところで、地方などほとんど内実は老人会の集まりみたいになっています。平均70歳前後のおじいさんとおばあさんの集まりで何ができるでしょうね。


考え方は硬直化し、教義も破綻し、組織は高齢化し、活動のメインは選挙活動と新聞の営業、そんなところに誰か友人や部員さんなんかを連れ出そうなんて私は思いません。
どうせ家庭訪問するなら、私は組織は一切抜きで自分の仲間作りをしたいですね。創価学会とも大石寺とも縁を切る仲間作りといったところでしょうか。