気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

虚空蔵菩薩と伊勢神宮のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は、とある読者の方からの質問に答えた記事になります。


日蓮がどこかの神社か何かに『日本第一の智者になしたまえ』と祈願していたように聞いたのですが、これは事実ですか?」


正確に言うと神社ではなくて安房鴨川の清澄寺です。ここで日蓮が幼少時から虚空蔵菩薩に対して「日蓮を日本第一の智者となしたまえ」と祈願していたということが、複数の遺文に見ることができます。
真蹟現存のものは存在しませんが、身延に真蹟がかつて存在していたことが知られる身延曽存の『清澄寺大衆中』には次のようにあります。


「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし」
創価学会版御書、893ページ)


この「日本第一の智者となしたまえ」という表現は、他にも真蹟不存ながら『善無畏三蔵抄』『破良観等御書』にも存在します。


まあ神社ではありませんが、日蓮が幼少時から虚空蔵菩薩にお参りして、そこに祈願していたことは一般によく知られています。


それにしても、虚空蔵菩薩に願をかけていたことは日蓮の遺文を読んでいれば、すぐにわかりそうなことなのですが、大石寺の信徒さんはそう言ったこともあまりご存知ないということなのでしょう。ご質問を頂いて若干驚いていました。


それから日蓮本人の神社「参拝」の件ですが、これは正直よくわかりません。
例えば『種種御振舞御書』(身延曽存)には龍ノ口に向かう際に鎌倉八幡宮に向かって「いかに八幡大菩薩はまことの神か」と叱責する場面がありますが、これは刑場に向かう際の発言で参拝とは言えないでしょう。


加えて比叡山に遊学の最中、建長5年に日蓮伊勢神宮に参拝したという逸話がありますが、これを裏付ける文献を私は見出していません。ただ伊勢神宮の近く、伊勢市倭町に「日蓮上人誓いの聖跡」と称された井戸と宝塔が存在することは事実です。
この説明板に書いてあることをここに引用してみます。


日蓮上人(1222〜1282)は、鎌倉・比叡山などで修行し、仏法の真髄は『法華経』にあることを悟りました。建長5年(1253)関東下向の途中、伊勢神宮内院と言われていた旧常明寺(倭町)に参籠し、境内の井戸で潔斎して
我  日本の柱とならん
我  日本の眼目とならん
我  日本の大船とならん
の、三つの誓いを立て、それを皇大神宮誓願いたしました。この年、日蓮宗は立教開宗されました。」


史跡のこの説明板の記述を信じるならば、日蓮は建長5年に確かに伊勢神宮に参拝して、広宣流布の誓いを立てていることになります。ただこの誓いの言葉は佐渡以降の『開目抄』の引用であり、立教改宗前にこれらの誓いをすでに立てて伊勢神宮に誓ったのかというと、私には若干疑問が残ります。





追記:
なお日興門流の神社参拝の問題については、いつか別にきちんと記事を書きたいと考えてはいます。
いつもありがとうございます。