気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

御書の「凡例」。






いつもみなさん、ありがとうございます。
ところで、日蓮の遺文集として、創価学会では堀日亨編とされる、いわゆる創価学会版御書全集を用いています。



私も活動家時代、これで遺文を読むことに慣れてしまったので、ブログに使う場合は散々ここから引用しているのですが、これは読めば読むほど編集に問題があることがわかります。


それがよくわかるのが実は「凡例」です。
戸田城聖の「発刊の辞」と堀日亨の「序」に続いて、目録の前に「凡例」が示されていますが、そこには編集方針として次のように書かれています。


「建長五年宗旨建立以前の戒体即身成仏義等数篇、現代教養に裨益なき十王讃歎抄・八大地獄抄等、純天台なる三八教・秀句十勝抄等の如き縦い御真書でも聖祖の御抄録分と見做して且らく文を除いた。」

「新古各種の刊本中に真偽未決の問題となるものも信行に資するものは之を取る。」


この二つの方針は大きな問題かと思います。


つまり真蹟が残るものであったとしても収録しないことがあるし、また真偽が疑わしい、偽書の可能性が高いものについても「信行に資する」なら採用するということです。


簡単に言ってしまうと、編集者の方針で「都合のいいものは入れるし、都合の悪いものは省く」と言われているようにしか私には思えません。


私はこの「凡例」を活動家時代に読んだ時、若干の違和感を感じたと同時に、日蓮の御書に学会版に収録されてないものがまだ存在していることを知り、それを読んでみたいと思いました。


創価学会の活動家の多くは凡例の存在さえ気に留めず、学会版御書全集が全てだと勘違いされている人が多いです(というかほとんどそうです)。
自身の教義に都合の良い御書ばかり読んで信仰を形成するものですから、多くの会員が『生死一大事血脈抄』とか『御義口伝』とかそんなものばかりをありがたがり、肝心な真蹟を最初に読んで日蓮の実像に迫るということが全くできなくなっている現状なのだと思います。



追記:
富士宗学全集を書いた堀日亨が本当にこの創価学会版御書を編集したのか、私には非常に疑問が多いです。誤字や脱字があちこちに散見され、そのことはこのブログでも指摘させて頂いています。詳しくは米山士郎さんのブログでも指摘されていますが、推測するに学会版御書の編集はほぼ堀日亨は名義貸しの状態だったのではないかと推測します。そうでなければせめて訂正とかをしてもよさそうなものです。
ちなみに創価学会教学部は後に「編年体」を出版していますが、こちらの方は索引も付き、誤字も訂正されており、「編年体」の方が編集方針もよくわかり、読みやすいと私は思います。