気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

狂信的な法華講と静かな法華講。





いつもみなさん、ありがとうございます。





さて私はブログの内容もあり、最近は大石寺の狂信的な法華講さんからいろいろ議論をふっかけられることも増えてきました。
で、だいたい私は文献的な考証から矛盾点を指摘するのですが、狂信的な方はそれらの矛盾さえも決して認めようとせず、のらりくらりと話をはぐらかして、人格攻撃に終始したりします。


で、私のツイートを見て誤解されないよう書いておきたいのですが、実は本来の大石寺法華講さんのほとんどはとても温和で、他宗に対してさして敵意を持たれているような方ではありません(直接メール等で私が話した印象です)。ところが、一部狂信的で他宗批判に明け暮れる方がいて、そのイメージが先行してしまうんですね。


創価学会の非難中傷に明け暮れる妙観講さんとか一部の法華講さんは、所詮大石寺を口汚く罵っている創価学会の一部幹部とやってることが同じなんですね(笑)。それに対して現場の多くの法華講さんは何も言わずに醒めた目で見ています。


その証拠に、私にたくさんの激励のメールやツイッター、DM等を頂くのは、法華講さんの方も多いです。


以下に紹介してみます。



Twitterのツイートに感心しました」

「まさにそうです。一部の過激な方が目立つからそのイメージが先行してしまっています」

「確かに法華講は一枚岩でありません」

法華講に謗法がないわけでもありません」

「自分が所属している教団が、こんなに非常識なのかと嫌になります」

「本山に近ければ尚更で、他宗の僧侶の知り合いとか普通にいます」

創価を嫌悪しているのにやってることが創価そっくり

「世間知らずな講員には辟易します」

「酷い悪口でツイートで見るのも嫌です」

「高飛車な言い方で、人を見下してます」

創価新報をもっと陳腐にした感じです」

「学会が元凶だというカルトじみたやり方には賛同できません」

「被害者がまた被害者を作るやり方は頂けません」

「罰や功徳論に振り回される講員を見ていると疑問に思います」

妙観講は大百法も読まず、暁鐘出版の本ばかり読んで皆から引かれています」



彼らとメール等で話をさせていただくうちに、サイレントマジョリティとしての法華講員さんが多く大石寺内部に存在することはなんとなくわかってきました。
多くの方はたまに御開扉を受けに本山行ったりする程度で、それ以上の活動をしない人も多くいます。御講さえも「おもしろくない」と言われる方がいることはなかなか興味深かったです。


私はこのブログで、大石寺の教義を批判しますが、物事の理解には個人差があってもよいと思っています。矛盾を見つめても、それでもなかなか自分のやってきた信仰を根幹から否定することはすぐにできないことでしょう。
そういった方たちと話す時、私は基本ご自身の考えにお任せすることにしています。
矛盾がある、けれど今すぐにこの御本尊を捨てられない、そういう人がいれば、それはそのままでもよいかと思います。矛盾の克服はその方の個人の課題かと思いますし。


宗教にはどこかに非合理性が存在します。
大切なことは自分のやってことがどこまで非合理的で非理性的なのかという自覚を持つことであり、それらの非理性的なものに対して他者の批判に耳を閉ざすことなく、自分とも他者とも誠実に向き合う、その姿勢の方なのではないかと私は考えています。